生野銀山①

 日本の銀山と言えば、2007年(平成19年)に世界遺産登録となった石見銀山と同じ年に近代化産業遺産、および日本の地質百選に選定された生野銀山が突出して高い知名度の銀山です。生野銀山は生野鉱山関連遺構として、今年『播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道 ~資源大国日本の記憶をたどる73Kmの轍~』の日本遺産にも認定されています。石見銀山は2011年に訪問しましたが、生野銀山はこの夏休みのイベントとして先週、行ってきました。

 生野銀山は平安時代の開坑と伝えられていますが、本格的な採掘は戦国時代~江戸時代となります。明治になると日本初の政府直轄運営鉱山となり、鉱山長の朝倉盛明がフランス人技師長ジャン・フランシスク・コワニエらの助力もあって、先進技術が導入されました。近代化が進められ、1889年(明治22年)には宮内省所管の皇室財産となり、それを裏付ける様に入口の門柱には菊の御門がありました。1896年(明治29年)には国内有数の鉱山として、三菱合資会社に払下げられています。その後、資源減少による鉱石の品質の悪化と、坑道延長が長くなり、採掘コストと危険性が増したことで1973年(昭和48年)に閉山し、翌年「史跡・生野銀山」となっています。