Monthly Archives: 7月 2018

2018☆夏の旅行部ツアー⑤

 写真は因島水軍城で広島県尾道市の因島にある村上水軍の城郭風建築物の資料館です。歴史学者の奈良本辰也が建物監修し、水軍城をイメージした建物になっています。因島村上氏の菩提寺である金蓮寺の境内にあり、このお寺には因島村上家歴代の墓があって、市史跡に指定されています。ここも先日の西日本豪雨でお墓の上の山林が崩れ、墓石も被害を受け、訪問した時は断水状態が続いていました。

 ここはもう尾道市で因島大橋を越え、向島を通り、新尾道大橋を渡ると本州となります。尾道といえば尾道ラーメン、写真はミシュランガイド掲載店の人気店の味玉ラーメンです。私の年代には懐かしい昔ながらの醤油系のラーメンで、美味しく頂きました。

2018☆夏の旅行部ツアー④

 一昨年の春に尾道市と今治市が共同で申請した「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami Kaizoku”の記憶-」日本遺産に認定されています。そういう訳で、最終日は新居浜を出発し今治からしまなみ海道を抜け、大島の村上水軍博物館、大三島の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)、因島の因島水軍城を見学しました。村上水軍記念館は2004年(平成16年)に開館し、中世に瀬戸内海を中心に活躍した村上水軍の資料や関連する書籍などを保存しています。また、この前から能島、見近島の周辺などを回る潮流体験船が運航されていて、3階の展望室があり、瀬戸内海を眺めることができます。左の写真は伯方大島大橋をバックにした能島です。

 次に大三島の大山祇神社を参拝しました。594年(推古天皇2年)の創建と伝わる古社で三島神社や大山祇神社の総本社で伊予国一宮です。刀剣、甲冑、弓箭具などの武器武具類の文化財が多く、国宝も多数あります。歴史部の3巨頭はしっかり見学していました。

2018☆夏の旅行部ツアー③

 松山市は人口を50万人を擁する四国最大の都市で松山城を中心に発展して来た城下町です。有名な道後温泉は古くからの温泉地で、俳人の正岡子規や種田山頭火、文豪夏目漱石のゆかりの地であるとともに「坂の上の雲」等の秋山兄弟でも知られる文学、歴史の街でこうした観光資源を背景として、「国際観光温泉文化都市」の指定も受けています。観光客もここ数年増加していて、「いで湯と城と文学のまち」のキャッチフレーズで人気の観光都市です。また、新選組十番隊組長で槍の使い手の原田左之助はこの地の出身ですね。日清、日露戦争時代に松山で昔語りをする老軍人が「私は原田左之助だ」と名乗ったとされていますが、真偽のほどは定かではありません。そして、松山市は路面電車の街で、新旧のユニークな電車が走っています。また、蒸気機関車風のディーゼル機関車の「坊ちゃん列車」も人気で乗り鉄、撮り鉄も楽しめます。

2018☆夏の旅行部ツアー②

 高知を後に松山市内で社長と合流しランチの後、松山城に行きました。ランチはリクエストもありましたので、ちょっとリッチに鰻にしました。それでも東京に比べると半値とは言いませんがリーズナブルなお値段です。この鰻屋さんのすぐ近くから松山城へアクセスするロープウェイとリフトがあります。松山城は松山市の中心部である標高132㍍の勝山山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園)、三之丸(堀之内)がある、広大な平山城です。国宝ではありませんが、重要文化財が21棟もある現存12天守です。1602年(慶長7年)に賤ヶ岳の七本槍の加藤嘉明が関ヶ原の戦いでの戦功により20万石に加増され、築城に着手しています。加藤嘉明はこの地を松山と命名したりしていますが、完成前に会津藩に移封されました。また、武勇に優れかつ冷静沈着な名将と知られ「沈勇の士」と言われています。愛媛県では、今日でも松山城築城の評価は高く、東雲道の入口には加藤嘉明公の銅像があります。

2018☆夏の旅行部ツアー①

 今年の旅行部のツアーは夏に行きました。昨年から歴史部の「古戦場・城郭」色がクローズアップされ、今回のメインテーマーは松山城と村上水軍です。仕事の都合で社長以外は13日の夜に高松に入り、高知の豊楽寺、日本一の大杉の見学後に松山で合流となりました。毎回、リクエストを受けコースや食事処は私がチョイスしていますが、難易度が高くなっています。最初に訪問したのは高知県長岡郡大豊町にある真言宗智山派の豊楽寺(ぶらくじ)で薬師堂は国宝、四国最古の建造物(1151年)と言われています。724年(神亀元年)、聖武天皇の勅願寺として行基が開創したと伝わる古刹です。そして。このお寺の名前は聖武天皇が薬師本願経説の一節「資求足身心安」より二文字を取り、名付けられたとされています。

 次に訪問しこのは大豊町が誇る日本一の大杉で美空ひばりゆかりの地でもあります。樹齢3000年、樹高約60㍍の古木で南大杉、北大杉の2株が根元で合着しているので夫婦杉とも呼ばれています。1952年(昭和27年)に特別天然記念物として指定され、終戦後にこの地に巡業に来ていた美空ひばりがバス転落事故に遭った時に大豊町の皆さんにお世話になり、この大杉に日本一の歌手になる事を誓ったそうです。この場所の近くを通る高知自動車道は西日本豪雨の時の崖崩れで片側対面交通となっていました。ちょうど前日に再開したところでしたが、あちらこちらに山肌がむき出しに削られていて、豪雨の凄さを物語っていました。

マネージャーの資質①

 サブマネージャーやシニアマネージャー、テクニカル、グループ…などあらゆる〇〇マネージャーと呼ばれる管理職はマネジメントを行うのですから、①問題点を発見・認識し、②周囲と共有し、③解決方法を検討し、④計画を立てて実行し、⑤維持管理のもと、改善・評価→修正できることが最低限、必要な資質だと思います。また、やるべき事やその期日が決まった事に関して、催促なしで最速でアクションして欲しいものです。組織や職務を含め仕事の管理は重要ですが、先ず「自己管理」ができないといけません。「自己管理」も及ばないのに管理職となって、様々な管理を目指すのは本末転倒です。

ドクターイエロー④

 7月8日は下りのドクターイエローが走る情報があって、米原駅にでも行こうと思っていましたが、安易に京都駅で撮影を済ませました。京都駅の上りホームからカブリを気にしながら撮影しましたが、今年の2月のドクターイエロー②と同じ場所からなので似たような写真となりました。…が、レンズは新しいもので試し撮りになりました。日曜日の運行は久しぶりにもかかわらず、同業者は数名でした。この日は修学旅行の生徒でホームが溢れかえっており、その中を静かに滑り込むドクターイエローを発見すると途端に「黄色い歓声」に変わりました。見ると幸せになれるという噂もある人気の黄色い新幹線、次は別の場所でバッチリ写したいものです。

豊橋駅~豊川駅間開業の日

 本日は1897年(明治30年) 豊川鉄道(現在のJR東海飯田線)が豊橋駅~豊川駅間開業した日です。写真は豊橋から一つ先の船町駅で撮影しました。建設時の経緯があって、飯田線の前身の豊川鉄道と名鉄の前身の愛知電気鉄道時代から豊橋駅から平井信号場までの約4㌔の区間は線路を共用していますが、これは現在もそのままJR東海&名鉄となっても引き継がれています。この共用されている区間では、名鉄の列車本数は1時間あたり最大6本となっています。世間は3連休ですね。歴史部とも言われる旅行部は四国へ遠征中で、また道中記はアップします。

LSE定期運用最終日

 オレンジとグレーの伝統カラーの最後の車種、小田急7000形ロマンスカー・LSE( Luxury Super Express)と呼ばれる車両が、先週の7月10日、定期列車としての運行を終えました。38年にもわたる活躍の最後の日にたまたま厚木方面に所用のあった私は、新宿駅から快速急行に乗り、回送列車とすれ違いました。12時発のはこね23号が7000形と案内してありましたので、先頭車両で前方を見ていると、参宮橋付近でこちらの車両から不本意ですが撮影できました。このLSEが登場したのは1980年(昭和55年)で、38年間の現役は、歴代ロマンスカーの中でも最長だそうです。このLSEは1編成のみ残って、臨時列車として走りますが、今年度中には引退する予定です。

続・13日の金曜日

 このタイトルのシリーズの映画は時々再放送されているのかも知れませんが、もう見ないです。上映されていた時にどうして映画館まで見に行ったのか理由がはっきりしません。が、どんな話でどうなったのか?は興味が多少あります。そうは言うものの、こうしたホラー映画は夢に出てくるので、やはり距離を置いています。

 本日は今年2回目で最後の13日の金曜日で、三りんぼうで、漢字で書くと三隣亡です。三りんぼうとは八専や十方暮(じっぽうぐれ)、不成就日(ふじょうじゅび)天一天上などの選日の一つです。選日とは、暦に記載される日時・方位などの吉凶、その日の運勢などの事項である歴注の中で六曜や七曜、十二直(中段)、二十八宿、九星、暦注下段以外のものの総称で、十干十二支の組合せによってその日の吉凶を占っています。江戸時代には三輪宝だったのですが、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていたところを見ると、現在とはまったく正反対の吉日だった様です。これがある年に暦の編者が「よ」→「あ」と書き間違えてしまって、そのまま「屋立てあし」「蔵立てあし」と伝わったという説もある様ですが、歴史はミステリーです。こうした経緯で「三輪宝」が凶日ではマッチしないので、「三隣亡」になったとか?本当でしょうかね…。