Monthly Archives: 11月 2015

続・麺処⑪

 よく、『すべての名称、事例には理由がある…。』と地名や三大〇〇、行事の理由を聞かれる事がありますが、調べる時はたいへんでも、何かと発見はあります。で、秋葉原の地名の由来について少し調べてみました。1870年(明治2年)冬の大火事でできた焼け跡の地に、明治天皇の勅命によって鎮火三神を勧請して創建された「鎮火社」が、火防(ひぶせ)の神である秋葉大権現(あきはだいごんげん)IMG_5033として人々が「秋葉社」「秋葉様」等と呼んでします。この事からこの地が「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼ばれ、秋葉原の地名が誕生したそうです。秋葉山は静岡県にあり、「秋葉山から火事(を出す)」なんてことわざもあります。意味は『人を戒める立場にある人が、自ら過ちを犯して しまうたとえ』だそうで、心に重く受けてないといけません。

 写真は東京、JR秋葉原駅構内の「鴨南蛮そば」です。このお店は秋葉原駅の総武線下り(千葉方面)ホームに面してある立ち食いそば屋さんです。普通の駅そばでそれなりに美味しいのですが、メニューは豊富で組合せを変えれば、毎日訪問しても軽く一ケ月は違うものが食べられます。

奈良市北之庄町のうどん屋

 IMG_5291ここは10月31日にアップしている「関西讃岐うどん巡礼」の札番31のお店で奈良にある三軒のうちの一つです。ここも大人気店で評点も高く、そして地元でも広く知られています。最寄駅はJR桜井線から歩くと2㌔以上あって、25分はかかります。複数だとJR大和路線の郡山駅からタクシーでしょうね。写真は定食で、明太子とろろご飯がついています。(これは半分以上、同行した本社の若手営業マンが食べました。)くるっと巻かれたうどんは讃岐うどんらしく、もちっとしていながらも食べ易い食感です。奈良には「関西讃岐うどん巡礼」のお店があと二軒あるので年内には行ってみようと思っています。

辛・課長の壁⑳~正体~

 会社で上司に『仕事以外の話をするな!!』と言われると辛いものがありますね。双方か一方か余程、問題があって酷い関係なのでしょう。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と故事にあるように先入観には怖さがありますし、それによって自由な考え方やアイデアが封じられる悲しさが潜んでいます。正体とは神仏の本体と言う意味もありますが、隠されているものの本来の姿が一般的でしょう。IMG_5304

 相手…そう…特に用心しないといけない様な御仁の正体は見抜かないとたいへんな事になりますが、仕事でのコミュニケーションの上では自分の正体を明かして仕事をしないと良い関係が築けないと思います。昨今、プライバシーの保護の問題で個人のプロフィールは何かベールに包まれている感じは否めないですが、マネージャーはある程度、「この事を意識して、血の通った関係」の上でマネージメントをしてもらいたいと思う次第です。そして、それ以上にちゃんと自分の正体を見極められているかどうか?が先ですが…。

禍転じて福となす

 IMG_5398s1959年(昭和34年)9月26日に伊勢湾台風が東海地方を直撃し、近鉄の 名古屋線は桑名以南が冠水し、全区間に渡り、桑名にて甚大かつ深刻な被害となりました。伊勢湾台風は昭和の三大台風の中でも突出し、最も被害の大きな自然災害となった台風でした。その被害で近鉄名古屋線の狭軌(1067㍉)から標準軌(1435㍉)への改軌工事は当初の予定より早く、実施され完成したのが同年の本日です。大阪~名古屋間の直通特急を伊勢中川で乗り換えて無しで走らせたかった近鉄はこの大きな被害のタイミングを乗り越え、僅か9日間の突貫工事で、標準軌に改軌した訳です。正に「禍転じて福となす」となった訳です。

 しかし、養老線は大垣 ~桑名間を通る国鉄の貨物列車があったので標準軌化されませんでした。で、名古屋線を走っていた特急用の6421系電車は420系として養老線で活躍しました。右の写真は昭和の時代の大垣駅で停車中の420系です。

新・右京にたずねよ①

aibou14 10月14日にスタートした「相棒Season14」ですが、視聴率はまずまずの様です。新相棒の冠城亘(反町隆史)の好演もあるのでしょうが、私は刑事ではない設定が面白く、またストーリーの展開も新鮮です。そして、石坂浩二演じる甲斐峯秋が依然、実力者として健在だった事には驚きます。犯罪者として逮捕された甲斐亨の実父での甲斐峯秋は警察庁次長の職から警察庁長官官房付に降格なのですが、その権力は依然、健在ぶりじゃないですか?何らかの背景があるのか?甲斐亨のその後も気になります。亀山薫のラーメン屋の店主での復活はあり得ないでしょうか…。右京さんの前妻はどうしたのでしょうね…。

冬支度

 IMG_5309先日、奈良工場の近くの用水路を上から眺めていると、クサガメが流れに逆らって上流の方に歩いていました。そして、10㍍下流にも同じように歩いているカメを見つけました。カメやヘビに代表される爬虫類は冬季における低気温や食物不足を避けるためにほぼ冬眠します。カメは地中でも冬眠しますが、水中でも行います。私は島根時代に2シーズン、飼っているカメを冬越えさせた事があります。IMG_5331

 人間社会でも忘年会等含め、冬支度と言うか年末にかけて年賀状を書いたり、いろいろあります。手帳が新しくなりますね。来年も今年と同じ手帳にしました。こうした準備は気分も新しく切り替える必要があります。次の25日は終い天神で、師走の京都も賑わいます。最近、社寺参拝がなかなかできていませんが、自分なりの冬支度はしておきたいと思います。

路辺に拾う…写真⑫

 写真は被写体を創作しても良いのか?と考える事がしばしばあります。作為的なものが写真の評価とシンクロしているモデルを使ったポートレートは問題ないと思いますが、通りがかった公園で遊ぶ子供に、あれこれとリクエストして撮影したものが作品でしょうか?しかし、白黒写真ihone007事前の調整は写真には写らないので、わかりませんが、度を過ぎると…何となくわかってしまうのが現実でしょう。

 よく話題になりますが、「演出写真」のスタンスは人によって違います。報道写真ではNGですが、写真表現としてコンテストなどでは問題ないという意見もあります。草花に霧吹きで水滴をかけて、朝露に見せるのは、ある意味、演出は上手くても、写真が下手だと言っている様なものだと思います。事の善し悪しは別として…。写真は演出より、発見を楽しむ趣味と考えます。難しい話ですが…。

柳沢吉保サミット

柳沢吉保サミットポスター 柳沢吉保というと五代将軍徳川綱吉の側用人として権勢を振るい、どちらかというとダークなイメージですね。大河ドラマや時代劇では赤穂浪士や水戸黄門の時代ですので度々登場し、数々の俳優が演じています。一般的には悪役や黒幕のイメージとは別に行政面では評価されています。吉良上野介や田沼意次なども人気のない割には地元では名君だったようです。そして、IMG_1666sゆかりの大和郡山市で昨日、自治体連携プロジェクト「柳沢吉保サミット」が開かれ、予め申し込んでおいた講演『柳沢吉保―その虚像と実像―』に行ってきました。大和郡山市との関係は吉保の後を継ぎ、甲斐甲府藩2代藩主の吉里が、後に大和国に移封となり大和郡山藩初代藩主となったことに由来しています。この時に金魚もいっしょにやってきていますね。

 さて、講演ですが1時間たっぷりと長崎大学の福留真紀准教授の研究と発表を堪能しました。今回、柳沢吉保が造園した東京の六義園(りくぎえん)のある文京区長もパネリストとして来られていましたが、小石川後楽園とともに江戸の二大庭園とは知りませんでした。機会があれば是非とも訪問したいと思います。

和光市の塩ラーメン

IMG_5251 東京地下鉄で唯一、都内にない駅の和光市駅は東武鉄道の東上線と東京メトロの有楽町線と副都心線が乗り入れています。その南口駅から徒歩5分程度の場所に今回のラーメン店はあります。基本的には塩専門店で“濃厚”と“淡麗”に分けられていますが、私は透明スープの“淡麗”にしました。クチコミ評点も高く、ランチ時には少し行列が出来ていました。川越市にある有名店の2号店とかで、和の究極の出汁を求めた結果、深みのある澄みわたる鳥塩スープにたどり着いたそうです。最近、食べたラーメンでは一二を争う高評価店でした。味玉一個はランチタイムのサービスです。

日本最後の仇討ち場跡

 IMG_6016s日本最後の仇討と言われるのは複数あるようですが、ここ大阪府阪南市山中渓に日本最後の仇討ち場跡の石碑があります。熊野古道の雄ノ山峠の北側で和泉国と紀伊国との国境とされる境川を大阪側に渡ったところです。1857年(安政4年)に土佐藩士の棚橋三郎は酒に酔って口論となった同じ土佐藩の廣井大六に斬りかかり、川の中に落として水死させました。棚橋三郎は藩を追放されましたが、父の仇を討つために廣井大六の一子、廣井磐之助は17歳にして棚橋三郎を探す旅に出ます。廣井磐之助は、大阪に同郷の坂本龍馬を尋ね、勝海舟を紹介してもらって、勝の協力を得て幕府の「仇討免許状」と諸国の役人宛ての「探索依頼状」を受けています。勝海舟の門弟になりながら捜索を続けた結果、6年の後の1863年(文久3年)にとうとう、紀州加太(かだ)にて工事人夫をしていた棚橋三郎を探し出します。御三家である紀州藩は公式に幕府が認めていない仇討だった為、棚橋三郎を国払いとして、この和泉国の境川にて討てばよいとしました。その後の仇討はあるのですが、幕府が発行した「仇討免許状」による仇討ちはこれが最後のものになるのです。