Monthly Archives: 9月 2013

新・そば処⑲

 SN3O01219月も最終日です。月の終わりは最近、「そば処」シリーズで締めくくっています。京都市中京区にあるJR二条駅のかつての木造駅舎は梅小路蒸気機関車館に移設され、現在は設計事務所がデザインした近代的な高架駅となっています。その高架のすぐ後に京都市営地下鉄の東西線も開業し、乗降客も増えています。二条駅の前にある千本通の西側を北上すると写真のお店はあります。ここは京都名物のにしんそばもありますが、私は普通のざるそばを食べました。大盛は200円増しで、それでも800円でした。間口が狭いため徒歩でないと発見できないかも知れませんが、なかなか落ち着くお店です。10月の最終日は神在月という事もあって、出雲そばのお店を紹介しようと思います。

series◆日中友好⑫~中秋節そして国慶節~

 DSCN06049月17日からの21回目の中国渡航は香港からフェリーで東莞(トンガン)市の虎門(フーメン)に入りました。ちょうど中秋節の前でお菓子屋さんには満月をかたどった“月餅(げっぺい)”が並んでいる頃で、国民的な定番お土産のこのお菓子は、空港などの売店ではいつもより多く見かけました。SN3O0125そして、人の動きも活発になって道路の渋滞にまともに巻き込まれ、500㍍進むのに2時間もかかかりました。街のレストランも家族連れが多く、この日は大繁盛です。宿泊したホテルの部屋にも右の“月餅”がサービスで提供されていました。中秋節は長くても3~4日の休みだそうですが、10月初めの中国の建国を祝う国慶節は約一週間のお休みとなります。 SN3O0114

 国慶節は、中国人民政治協商会議で定められている中華人民共和国の建国記念日です。1949年10月1日、天安門広場において「中華人民共和国」の建国式典の開催日に毛沢東が宣言した事に由来してます。しかし、この時点では内戦は継続しており、11月30日に重慶の陥落で蒋介石の国民党政府を台湾に追いやった後も、翌年6月まで小競り合いが続いていました。

 中秋節のメインの日となる19日の朝は近くの虎門のレストランに行きました。朝からファミリー客ばかりで、お祭りムードです。右下の写真の様にユニークな形をした料理も出てきました。この日は月を愛でる日として古来より祝福され、月が丸いことから家族円満に結び付け、家族皆が集まり、一家団欒のひと時を過ごします。

ダイヤモンドクロス

 ダイヤモンドクロスダイヤモンドクロスは鉄道の平面交差で、ここ四国松山の伊予鉄道の大手町駅は有名です。2011年の9月22日のブログでも路面電車同士が平面交差する阪堺電車の住吉駅を紹介しています。ここは片方が普通の郊外電車ですので正にダイナミックで迫力満点です。全国的にも非常に珍しい光景で「撮り鉄」でなくても写真を撮りたくなる場所です。この大手町のダイヤモンドクロスにおいては、全て郊外電車である高浜線の電車(写真右)が優先されます。路面電車は自動車やバスと同じ様に踏切待ちをします。右の白いマスクの電車は元京王電車の3000系で、井の頭線で2011年の年末まで活躍していたので御存知の方もいらっしゃるでしょう。

 ところで愛媛県はミカンや伊予柑などの柑橘系の果実が美味しいところですね。愛媛県は、かつてはミカンの生産量は全国一位だったのですが、現在は和歌山県に次ぐ二位だそうです。

伊勢神宮

 DSCN0582第62回神宮式年遷宮の中核神事となる「遷御(せんぎょ)の儀」の日は皇大神宮(内宮)が10月2日(水)、豊受大神宮(外宮)が10月5日(土)でそれぞれ午後8時からとなっています。よって両日とも午後1時より参拝ができません。遷宮(せんぐう)とは、神社の正殿を造営や修理する際、正殿を新たに建てた場合に、御神体を遷すことです。伊勢神宮では20年に一度行われ、690年に第一回の式年遷宮が内宮で行われてから1300年に渡り続いています。その遷宮の中のメインイベントが御神体を旧殿から新殿へ遷す儀式となる「遷御の儀」なのです。

 9月の中旬に奥さんと高2の娘と3人で参拝してきました。内宮と外宮は少し距離があって、観光で賑わう内宮のみ参拝の人が多いと聞きますが、DSCN0591本来は外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しい様です。当日も外宮から内宮へと書かれたバスを見ました。電車で行くと伊勢市で下車して徒歩で外宮、バスかタクシーで内宮という順序が自然で私もその様にしました。マイカーで道路は混雑していますが、バス&タクシー優先の道路もあって、意外に便利です。DSCF0144大和西大寺から特急で行きましたが、大阪の上本町から急行一本で行けます。料金もチケットショップで販売されている株主優待券(片道乗車券)を2枚(1枚1500円程度)買うと3000円ポッキリです。この急行はクロスシートの車両(例えば左の5200系)もあり、トイレも設置されているので、プラス30分をどう考えるかですね。「しまかぜ」も魅力的ですが、2時間くらいの乗車時間が電車を楽しむのにはちょうどいいと思います。右の写真は内宮の参道口にあり、「俗界と聖界の境にある橋」といわれる宇治橋から撮影した五十鈴川です。

係長の隔壁②~発進力~

 半沢直樹が終わりました。何か次回シリーズもありそうですね。倍返しや百倍返しが流行語になりそうですが、『真のプライドは傷つかない…。』事を改めて伝えておきたいと思います。他人の酷い行為で自分自身が傷つく事は、一般的にあります。だからと言って倍返しや百倍返しといって同じように相手を傷つける事は本当に正しい事ではないと思います。まぁ「半沢直樹」はテレビドラマですから、それはそれとして楽しんで頂いた事でしょう。DSC01076

 自分のプライド、日本語で言う“矜持”が傷つく場合は本人の情けない行為、言動です。野球で言うなら四死球や危険球によってプライドが傷付くのではなく、そんな相手チームの作戦に怒りを覚え、策にはまり、平常心を忘れ、本来のバッテイングが出来なくなる事が“矜持”を失う事になります。そうです、他責ではないのです。自分の“矜持”を手放すのは自分自身の弱さであり、卑劣な手段や厳しい環境を理由にするのは能力無き者の単なる戯言です。

 『いきさつを…成り行きを…原因を…知らないから出来ません…。』なんて糞みたいな言い訳をいい大人がしていてはいけません『知らなければ調べて、解明すれば良いだけです。』また、『あの件は、できない旨、前にきちんと連絡してあります。』と済ませている人も良くありません。断った後の事を少し気にしてもらいたいものです。あなたが断った訳ですからその相手は代替案に苦慮している筈です。

 今の大成紙器印刷の係長は「発信力」とともに発進力を強化して頂きたいものです。じっと止まっていては駄目なのです。発進とは行動を起こす事であり、動き始める事です。待ちの姿勢はネクストバッターズサークルで終わっています。今、正にバッターボックスにいるのですから、積極的なスイング(発進力)でチームに貢献して頂きたいものです。

大村益次郎卿殉難報國之碑

 IMG_3619大阪市内を歩くと、思った以上に石碑や旧跡を示す案内板が多いと思います。その中でも最大級のものがこの上町にある「兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑」です。国立病院大阪医療センターの角にあって、一度ゆっくり見たいと思っていたのですが、先日、信号待ちで停車している車の中から撮影できました。大村益次郎は言わずと知れた維新十傑の一人で日本陸軍の父であり、この人無くしては当時の軍制改革は無しえなかった逸材です。ただ、考え方の違いから京都で反感を買った一派によって襲撃に合い、暗殺されました。即死でなく、この地にあった病院に運ばれ手当てを受けましたが傷口が悪化し、命を落としています。

 1977年(昭和52年)のNHK大河ドラマ「花神」の総集編を少し前に録画してあり、まだ見ていないので年内には時間を作ってしっかり、見ておきたいと思います。

西南戦争終結の日

 本日は日本国内において最後の内戦と言われる1877年(明治10年)に起きた西南戦争の終結の日です。よって“西郷隆盛”の命日でもあります。2011年9月24日にも「南州忌」としてアップしています。一昨日の『八重の桜』で玉山 鉄二(たまやま てつじ)演じる陸軍の山川浩中佐と西郷隆盛の会話には「グッ」とくるものがありました。この山川浩の妹はやはり『八重の桜』で反町隆史が好演している大山巌と結婚しています。云わば戊辰戦争で敵同士だった者の家族が親戚になっていたのです。夕日大山巌は従兄弟である“西郷隆盛”を敵にまわして薩軍を鎮圧し、勝利に貢献しています。故にその後、郷里の鹿児島には帰っていないそうです。

 日本は半年以上の長期に渡った国内最大規模のこの内戦で得た経験を日清、日露の大戦に活かし勝利しています。旧幕府の中には山川浩の様に手腕を買われ、再び日の目を見た逸材もありました。山川と同い年で桑名藩出身の立見 尚文(たつみ なおふみ)もその一人で“西南戦争”に参戦しています。元々北越戦争時に“雷神隊”なるゲリラ隊を率いて奮戦し、政府軍を苦しめています。こうした旧幕府軍の生き残りはかつての官軍の象徴とも言える“大西郷”とのリターンマッチに新・官軍として燃えていたのでしょう。

五輪に想う…②~平和の祭典~

 右の写真は1964年(昭和39年)に京都市役所前に来た聖火です。前に立つ少年は3才の私です。1940年(昭和15年)に東京で開催される予定だった夏季オリンピックは、当時の戦々恐々とした日中戦争の影響等から日本政府が開催権を返上して、京都市役所前中止となっています。「幻の東京五輪」となってしまいましたが、招致合戦で東京の次点のフィンランドのヘルシンキも第二次世界大戦によって開催されていません。また、1948年(昭和23年)のロンドン大会では戦争責任の理由から日本とドイツは招待されませんでした。オリンピック開催中はいかなる戦争、紛争も停止するという国際的ルールが「オリンピック停戦」ですが、大戦時にはオリンピックの方が中止されていたのです。古代ギリシャの都市国家間では「オリンピックが開かれている前後7日間は停戦する」という合意があった事に基づいています。

 平和の祭典としてのオリンピックですが、期間中に世界各地で停戦されるなら毎日やれば…という意見もありますが、国際オリンピック委員会という組織だけではどうしようもありません。2020年の東京開催までの準備で日本国民の一人一人ができる事もあると思います。そうした準備が実現可能な舞台を担える人財が必要とされているのは間違いありません。

坪尻駅

 坪尻徳島県三好市池田町西山の土讃本線の坪尻駅はスイッチバックで有名な秘境駅です。四国にはこの坪尻駅と高知県の新改駅の二つのスイッチバックの駅がありますが、ここは国道32号線からの大俯瞰撮影ができる鉄道がファンが歓喜する撮影ポイントです。まるで、航空写真かと思うくらいの迫力です。右の写真は1980年(昭和55年)5月3日の撮影です。この時は先客が数人いましたが、なんと全員キヤノンF―1なんです。私のカメラはPENTAXMXで重さこそ半分程度の軽量カメラですが値段も半分程度でキヤノンの絶対的な信頼性から来る人気に驚いたものです。

 坪尻駅はABCテレビの人気番組「探偵ナイトスクープ」で取り上げられた事もあり(依頼は乗降客数の調査⇒4人)、乗降客がほとんどいない駅です。場所は徳島県と香川県の県境に位置する猪ノ鼻峠付近で標高272㍍、辺りには人家もなく、山の中の淋しい駅です。もともと、坪尻信号所として1929年(昭和4年)に開設し、駅としては21年後に昇格、開業しています。多くの列車は通過しますが、乗り鉄なら一度は途中下車してみたいユニークな無人駅であります。

信・課長の壁⑩~作文と添削~

 SN3O0089課長に限らずマネージャーともなると部下の文章の評価も必要ですし、自分で作文もしなければなりません。この作文は手紙を書かなくなった昨今では苦手とされている方も多いのではないでしょうか?他人の作文を添削できる関係として師弟、夫婦や兄弟をはじめ親戚、友人、先輩後輩など少なからず、お互いに知った者同士の関係です。私なども前職の生産管理時代には顛末書や対策書等を責任者によく添削されたものです。

 しかし、こうした添削は基本的には数回で終わらせないといけません。特に最初と2回目ぐらいの添削で自分の文章の問題点をきちんと理解し、改善、修正する事が大切です。何回も継続すると作文者と添削者の関係は共依存的になり、必ず添削を前提とした作文しかできなくなります。…添削が何回も続く理由としては、ズバリ「作文に迫力」がないからです。「作文に迫力」を付ける方法として①他人の文章をよく読む事と②自分の作文を声を出して読み上げる事ですね。これで9割は改善できると思います。後の1割はセンスです。そして、作文が好きな私自身もセンスを磨き、作文作業から執筆活動へステップアップできる様にしたいものです。