Monthly Archives: 8月 2013

新・そば処⑱

 今日で8月も終わります。8月は2回の原爆投下や終戦記念日があって、その事に対してのニュース番組やドキュメンタリーなどで戦争を考える月です。先日、映画『少年H』を見てきました。杉下右京以外の水谷豊も新鮮です。この映画は第35回モスクワ国際映画祭のGALA部門で上映され特別作品賞の表彰を受けています。映画としての評価はともかく、モスクワの映画祭となると少し複雑な印象の方もいらっしゃるのではないでしょうか?過去の日本人の行為についてはあれこれと言われる割には、日本人への行為は黙殺されていないでしょうか?少年H

 日本は1945年の8月で敗戦国となった訳ですが、この終戦の後の国内のクーデーター未遂事件や満州や北方領土でのソ連軍の対日参戦とその経過や結果については、調べる気がないと事実関係が掴みにくい気がします。被害者側も加害者側も文化的な歴史の事実を教養としての認識の上で知っておくべきです。補償や謝罪等は外交問題の枠として政治的かつ国際的な解決が国家間に求められます。それはそれとして、知るべきことは正しく知りたいと思います。終戦時、ソ連が占領した満州や樺太、SN3O0035千島には軍人と民間人、合わせて約272万人ものの日本人がいたとされ、このうち約107万人が終戦後にシベリアやソ連各地に強制労働を目的として移送させられています。日本政府は1945年の11月になって、この強制労働の事実を知り、翌年の5月にアメリカを通じてソ連との交渉を開始し、ようやく年末の12月に「ソ連地区引揚に関する米ソ暫定協定」が成立したのです。

 さて、月末最終日…恒例のそば処です。写真は広島駅構内のホームにある立ち喰い蕎麦屋さんのおろし蕎麦です。「駅そば」は旅行、いや…“乗り鉄”とともに歩んできた食文化です。戦後、日本の復興と目指した平和の尊さを噛み締めながら、美味しく頂きました。

松本清張記念館

 SN3O0009松本清張の長編ミステリー「火の路」上・下巻を読んだ後、北九州市にある“松本清張記念館”を訪問したくなったのですが、そうそう九州の小倉までは簡単に行けないだろうと諦めていた矢先、広島からだと18切符でいける距離だと…この夏、SN3O0010決行しました。趣味の移動はなるべく、料金の安い方法から選択するのは昔の“乗り鉄”の名残りみたいなものです。それでも時間的な制約もあって、徳山から小倉までは新幹線を使いました。

 松本清張は1992年(平成4年)8月4日に82才で死去しましたが、6年後の1998年(平成10年)の命日に開館しています。この場所は清張の郷里でもあり、その生涯と業績に関係する北九州私立の文学館です。駆け足での見学となりましたが、機会があればゆっくりと再訪してみたい記念館です。ここ30年くらいで大きく3回のマイブームがあります。3回目が今で、しばらく続くと思います。映画やドラマ化されている作品も数多くありますが、『砂の器』はピカイチですね。そして、1974年製作の野村芳太郎監督のこの映画は今見ても名作です。機会があれば、読んでから、鑑賞してみて下さい。

八坂神社(小倉市)

 DSCN0450映画『無法松の一生』に登場する有名な小倉祇園太鼓は八坂神社の7月に行われる例大祭です。左の写真の八坂神社は北九州市小倉北区にあり、小倉駅より、西小倉駅の方が少し近いですが、どちらの駅からでもアクセスの良い場所にあります。1868年(慶応4年)の神仏分離令までは祇園社と呼ばれていました。歴史は870年(貞観12年)に  疫病の流行により、京都の祇園社をここより少し南の場所に勧請したことに始まります。DSCN0439江戸時代に入って細川家が小倉藩の総鎮守として現在の城北の地に祇園社を建立し、京都出身の細川忠興によって祇園祭も取り入れられています。ここには祖霊社という建物に納骨ができるので、私の参拝した8月13日も先祖の御霊をお祀りする人がたくさん来られていました。八坂神社のすぐ南には小倉城がありますが、ここも今回は時間がなく次回の訪問となりました。この小倉界隈は小倉城以外にも森鴎外旧居、安国寺、水環境館など旧跡や観光施設は多数あります。明日はその中の一つの松本清張記念館を紹介します。

別子(べっし)銅山

 DSCN0241愛媛県の新居浜市の山麓部にあった別子銅山は江戸時代の1690年(元禄3年)の発見と古く、翌年から約280年間にわたり、1973年(昭和48年)まで70万トンを産出しています。閉山時こそ「住友金属鉱山」という会社ですが、開堀当初から住友家が一貫して経営していて、住友財閥の礎ともいえる鉱山です。現在は、マイントピア別子という道の駅を併設した小さなテーマパークです。DSCN0207食事や休憩もできて、温泉もありますが、“鉄”にとっては山岳鉄道を復元して記念館と観光坑道を結んで運行される鉱山鉄道が目玉です。写真のドイツ製の赤い芦谷川鉄橋は1893年(明治26年)に架けられたものが使われています。マインピア本館には珍しいミゼットの消防車なんかも展示してあります。

 1916年(大正5年)から1930年(昭和5年)まで別子銅山採鉱本部が置かれていた東平(とうなる)地区はここから数キロ南の標高750㍍の山間部ですが、鉱山事業に関係する人とその家族が暮らし、小・中学校や劇場もあり、たいへん賑わっていました。閉山後、すっかり寂れた街の様子から東洋のマチュピチュと呼ばれています。今回は時間の都合で東平地区には立ち寄る事は出来ませんでしたが、是非とも再訪したい場所です。

太山寺(松山市)

 DSCN0405太山寺(たいさんじ)という寺院は神戸市にもあり、本堂が鎌倉時代の国宝で、私は2009年の1月11日に訪問しています。最近になって同じ名前の寺院が四国にもあって、やはり本堂が鎌倉時代の国宝である事を知りました。神戸市の太山寺が天台宗で、松山市のは真言宗智山派ですが、双方とも6~7世紀に創建されている歴史ある古刹です。

 四国の太山寺は四国八十八箇所霊場の第五十二番札所で本尊は十一面観音です。参拝した日は同じ四国の四万十市で6年振りに最高気温が塗り替えられた猛暑日で、ここ松山市でも茹だるような暑さでした。ちょっと、楽をさせて頂き、本堂の石段の下まで車で行きましが、それでも汗は滴り落ちてきます。老後の楽しみとして、四国遍路を歩いて廻る等とは安易に言えない実態を知った次第です。写真の本堂は屋根が入母屋造本瓦葺きで、たいへん立派な木造建築です。

信・課長の壁⑨~龍の鱗~

 なんか、いつも文句ばっかり言って、機嫌の悪い人っていますね…。話しかけにくいし、ついつい、何かの報告や連絡も遅れがちになり、また機嫌を損なう結果となります。そして、話したら話したで『それが…どうしたの?』なんて素っ気ない返事…。たまに会う人ならともかく、同じ、学校、職場…そして家庭内なら最悪です…。機嫌が悪い人と一緒にいるのはずっーと、ゲリラ豪雨が止まない中を走り続けるみたいで憂鬱です。IMG_1283
 機嫌が悪いのはその人の体内に悪い気、つまりマイナスエネルギーを抱えているからだと聞いた事がありますが、もうひとつの理由として、SOSがあります。機嫌の悪い人なりに周囲に自分のピンチを伝えているのだと思うのです。そのくせ、甘い言葉や優しい環境や前向きなコミニュケーションには拒絶反応…。本当に始末が悪いのですが、反面…不思議に面倒見が良かったりします。四半世紀前の時代でも、私の周囲にはこんな人が何人かはいましたね。カン高い声で突然叫ぶんですよ。ただ、長続きはしないんです。長くて10年が限界です。ただ、周りがそんなに長く耐えられないので、気付きと改善が必要です。
 本来、機嫌の悪い人に対しては『触らぬ神に祟りなし!!』で放っておくのが一番なんですが、ところがどっこい…台風が直撃しているのに真ん中にいる龍の喉元の鱗を素手で撫でにいく馬鹿がいます。まぁ一か八かですが、馬鹿さ加減に呆れて、大人しくなるケースもあります。逆鱗に触れて怒り心頭に発した龍は、今後その程度の事ではそうそう暴れなくなります。きっと、マイナスエネルギーが無くなっていくのでしょうね。要は何事も意気込みとタイミングです。マネージャーにとっては必要なスキルだと思いますよ…。

小倉のチャンポン

 SN3O1200今年の夏休みに高校時代の鉄研メンバーと伊予鉄道訪問の後、「しまなみ」海道を経由して帰りましたが、私は尾道で別れ、そのまま青春18切符+新幹線で小倉(こくら)に入りました。小倉は九州の玄関口で駅の南は賑やかで、聞こえてくる九州弁を聞いていると活気に満ちています。商店街で九州ラーメンの看板を発見し、そのまま店内に入り、チャンポンを注文しました。トンコツ味ですが、しつこくなくて九州の味って感じです。

 小倉は現在は北九州市で、1963年(昭和38年)の2月に門司市や戸畑市、八幡市、若松市と合併して北九州市という大都市になっています。地名の由来は、すぐ近くの「企救(きく)の浦」から「こくら」になった説と稲を納める倉庫があって、これを「小さな倉」と呼んでいたからだとする二説があるそうです。小倉に来た理由はまた、後ほど近々にアップします。 

与島PAのたこ丼

 SN3O1185先日、香川県坂出市与島町の瀬戸中央自動車道にあり、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋の途中の与島にあるパーキングエリアでランチをしました。ここは香川県ですが、近くの岡山県倉敷下津井を含めこのあたりの瀬戸内海沿岸は蛸の産地です。味はパーキングエリアのフードコートですので、過度な期待はしませんでしたが、なかなか美味しかったです。中国では日本人向けにしか輸入していない様ですね。先日、虎門(フーメン)で食べた炒飯(8月9日のブログの写真)には飯蛸が入っていましたが、今更ながら気になります。

白虎隊自刃の日

 本日は1868年(明治元年)のこの日に会津藩の白虎隊が城下の飯盛山で自刃した日です。飯盛山山中の白虎隊の士中二番隊員が、城下の町に火の手が上がったのを鶴ヶ城が落城したものと思い、20人の隊員全員が自刃し、DSCN0250一命を取り留めた飯沼貞吉以外の19名が死亡しています。これには、落城の認識がなかった説もあり、「八重の桜」では落城していないことを知りながらも飯盛山で自刃を決行していましたね。1986年のユニオン映画製作で同年年末の、30日、31日に放映された「日本テレビ年末時代劇スペシャル/白虎隊」では確か、落城と誤認しての自刃となっていたと思います。

 今年の大河ドラマ「八重の桜」はまだ…年末まで続きますが、総じて良かったと思います。今までとは違った視点で幕末、維新が描かれ、知らなかった事実も数多く紹介されたことはたいへん価値のある事です。さて、今週の第33回「尚之助との再会」も涙なしでは見る事ができなかったですね。

心・仏陀の教え⑫~而今~

 IMG_3398「いつやるか?今でしょう !」大手予備校の現代文講師がブレイクさせたフレーズですね。これは“今の一瞬”という「而今(にこん)」という仏教語に当てはまります。ブッダの残した原始仏典の法句経280に「起きるべき時に起きず、若く力があるのに怠惰になって、意気消沈して、惰弱な者は智慧によって道を見出すことができない…。」とあります。若き日をボンヤリと過ごしていると、あっと言う間に時間は過ぎ去ってしまいます。学生時代に家に帰ってテレビを見ていても、グランドに残って、日暮れまでランニングをしていても同じ一日ですが、時間を大切にした人は姿勢が違います。やるべき時にやるべき事ができない人はついつい先延ばししてしまいます。すぐに出来る事をすぐにやらないから、催促、督促に追われて悲しい回転木馬状態です。

 曹洞宗の宗祖である道元禅師もこの「而今」はよく使われていました。「他不是吾(他は是れ吾にあらず)    更待何時(更に何れの時をか待たん)」これは道元禅師が中国の寧波にある天童寺の典座老師に言われた言葉でこの時の逸話は有名ですね。『仏道を学ぶ人は、後々において修行しょう、などと考えてはいけません。今日、この時をぼんやりと過ごさず、その日、その時、 勤めなければなりません。』という事です。これは、すべての事に当てはまります。少なからず、過去も未来も不確かなものです。『今、ここに生きる…。』というがあるからこそ、人はベストを尽くすのです。