Monthly Archives: 7月 2013

新・そば処⑰

SN3O1147   早いもので今日で7月も終わりです。毎月月末にそば処をアップしていますが、最近、初めて食べる「お蕎麦屋さん」も近くには少なくなってきてブログネタに困っています。(本当はカツ丼やラーメン店の誘惑に負けているからだという説もあります。)

 写真は本社の近くにある「お蕎麦屋さん」で2011年10月25日の“そば処⑬”のお店とは近くですが、違うお店で、会議の後に会長と専務とランチに行きました。写真は山がそばで“とろろ”がついています。「お蕎麦屋さん」のある場所は長堂ですが、昔はきっと、長いお堂があったのでしょうね。SN3O1157

    ところで、最近…早起きしています。日の出の時間が早い事もありますが、目覚ましをしなくても5時台には目が覚めます。奈良工場十個条(63期)の中に『無駄にした時間は長い、残り時間は少ない…やり残した事は多い…。だから早起きをする。』とあります。(この言葉は私自身も気に入っていて、2011.7.18のブログ/課長の壁②でも登場させています。)一昨年に社長が抜粋して日めくり卓上カレンダーになって残っています。言葉や文章、写真を残しておく事は、膝をついた時などに明日への勇気に繋がります。

三井寺②

 IMG_3400左の写真は仁王門で、徳川家康が滋賀県の甲賀にある常楽寺より移築させた重要文化財です。この仁王門をはじめ、三井寺には重要文化財、国宝の建造物は多数あります。金堂の西側にある閼伽井屋(あかいや)という建造物も重要文化財です。内部には三井寺の名前の由来になっている天智・天武・持統天皇の産湯に使われた泉が湧いています。すなわち、この事から「御井」(みい)の寺が転じて三井寺となった訳です。閼伽井屋の正面には有名な左甚五郎が彫ったと伝えられる龍の彫刻があります。かつて、この龍が夜な夜な琵琶湖で暴れまわったので、龍の目玉に五寸釘を打ち込んで鎮めたという伝説が残っています。IMG_3409

 三井寺は平安時代に入り、発展の基礎を築いたのが、天台寺門宗の開祖である智証大師こと円珍です。円珍は最澄や空海、常暁、円行、円仁、慧運(えうん)、宗叡(しゅうえい)とともに入唐八家に数えられる名僧です。円珍の母は弘法大師空海の妹(もしくは姪)にあたり、唐から帰国後、四国八十八箇所第76番金倉寺に住んでいます。このお寺は三井寺と同じ天台寺門宗で、八十八箇寺が全部、真言宗系でない事もこうしたことで頷けます。円珍が亡くなってから、比叡山はこの円珍の門流と、慈覚大師円仁の門流との二派に分かれ、対立するようになって行きます。比叡山延暦寺の「山門」に対し、三井寺をIMG_3415「寺門」と呼ぶことから、両者の対立抗争を「山門寺門の抗争」などと言われています。

 三井寺は昨年公開された映画「るろうに剣心」のロケ地にも使われていました。ちょうど、薫が悪役の鵜堂刃衛に襲われ、剣心が助けるシーンです。この映画は続編が来年夏に全国公開される様ですね。たまたま、三井寺を参拝する直前に映画をテレビで見ただけにロケ地に遭遇し、少し感慨深く思いました。参拝した日は猛暑日でたいへん暑い日でしたので、参拝客は少なく、広い境内をゆっくり見学できました。境内の茶店で飲んだ「ひやしあめ」が懐かしい味で美味しかったです。

三井寺①

 IMG_3405滋賀県大津市にある三井(みい)寺は別名、園城(おんじょう)寺と呼ばれています。それは、聖武天皇が寺号を与えたと言われていますが、第39代弘文天皇こと大友皇子、その子である大友与多王が父の菩提を弔う為に、荘園城邑(田畑屋敷)を寄進してできた寺である事に由来しています。創建は7世紀と古く、寺宝、伝説も数多くあります。比叡山延暦寺との抗争、度重なる兵火、焼討ちの中でも必ず再建されてきた古刹ですので、「不死鳥の寺」とも呼ばれています。

 国宝の金堂は入母屋造、檜皮葺きで伝統的な天台系の本堂です。本尊の弥勒菩薩も安置されていますが、絶対秘仏で非公開です。この金堂は1599年(慶長4年)に秀吉の意志を継いだ高台院が再建しています。IMG_3414その前の旧金堂は移築され延暦寺にあります。

 右の写真は金堂西にあるの霊鐘堂に奉安されている「弁慶の引き摺り鐘」と呼ばれる奈良時代に作られた初代の梵鐘です。延暦寺との争いの中で弁慶が比叡山へ引き摺り上げて持ち帰り、撞いてみたところ、関西弁で帰りたいと意味する「いのう、いのう」響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ落としてしまったそうです。梵鐘にはその伝説を窺わせる傷痕や破目などが残っています。

宇治田原の焼肉定食

SN3O1145 昨年の12月3日にアップした宇治田原のハンバーグを食べたお店の“焼肉定食”で、料金は千円ポッキリです。ここはトンカツ定食やビフカツ定食にはうどん(丸々一玉)が付きます。味もさることながら、ボリュームが売りのお店です。で、リピーターのお客様は、どちらかというと量がそこそこの600円の日替り弁当を注文している感じですね。前のブログでも書いていますが、このお店は宇治田原の国道307号線からお店の案内を北上した古民家風のお店で、思った以上に人気店です。IMG_3395

 宇治田原というと徳川家康の伊賀越えのルートで、少し東に行くと右の様な案内があります。1582年6月21日(天正10年6月2日)の本能寺の変の後、堺に滞在していた徳川家康が30名少しのわずかな供の者で“ほうほうのてい”でこの地を通り、近江、伊賀、伊勢を抜け、海路で三河から居城の岡崎へ無事に帰還しています。一方、家康一行と別れた穴山梅雪は命を落としています。穴山梅雪とは武田二十四将の一人で武田信玄の娘が妻のバリバリの御一門衆、親族衆の筆頭です。それなのに梅雪は武田滅亡時に武田家再興を名目に主家から離反し、家康を通じ織田方に内応した武将です。武田家滅亡から数か月後、家康に同行し、織田信長に会いに行った為に明智光秀のクーデターである本能寺の変の結果、逃げ帰る途中に落ち武者狩りの襲撃にあって殺害されてしまうのです。それも、家康と同行していると危険と考えたのか、別行動をしたが為の災難です。予め、筋書きがあった様な話ですね。

 さて、明日からまた中国渡航で20回目です。今回は上海だけでなく、南の広東省の東莞(トンガン)にも行きます。東莞は歴史のある都市で旧石器時代(紀元前3000年頃?)の遺跡が発見されている事からしても、中国の広大な土地だけでなく、果てしない悠久の歴史が刻まれている事にただ、驚くばかりです。

横井小楠殉節地碑

IMG_3210  熊本藩出身で江戸で朱子学を学び、政治家であり、儒学者…そして、維新十傑の一人に数えられる横井小楠は水戸藩の藤田東湖らと交流もあって、安政の頃には開国論者でした。1858年(安政5年)に福井藩の松平春嶽に招かれ、政治顧問となり、開国通商と殖産興業による富国論を実践させ、彼の経済政策が実を結んでいます。

 1868年(明治元年)に明治政府に参与として出仕したのですが、翌年の1869年(明治2年)、京都御所からの帰途に、京都寺町通丸太町下ル東側(写真の石碑の場所/現中京区)で十津川郷士数名の凶刃に倒れています。洋風化の中でキリスト教を広めるとみられた為の暗殺だった様ですが、勝海舟や坂本龍馬とも親交があった幕末の偉人がこういった死に方をしたのは残念な事です。小楠の息子の時雄はあの山本覚馬の娘、山本峰(みね)と結婚しています。そして時雄は同志社第3代総長で山本家との強い縁を感じますね。大河ドラマの中では遂に鶴ヶ城が開城し、会津戦争が終わりましたね。それにしても、山本覚馬は立派な人だったのですね。悲しみの連鎖が強調される戊辰戦争の中にあって、覚馬の存在はもっと、際立ったものとして紹介されるべきでしょう。

series◆日中友好⑨〜静安寺〜

IMG_3333 IMG_3319今回の上海訪問で地下鉄は1.2.4.7.10号線と少しですが乗車しました。「CRH」の下車駅の虹橋駅から宿泊地の上海体育館駅へ帰る途中に「静安寺」という駅があったので途中下車して、お寺の存在もあったのでお参りしました。地下鉄「静安寺」駅には隣接して香港SOGO系の“久光”という百貨店があります。この上海店は日本人社員が派遣され「日本式百貨店」として指導、教育の元、オープンしてるとの事でデパ地下と言われる食料品コーナー等をみても、出店しているお店や雰囲気からして違和感のない店内です。 IMG_3324

 さて、その百貨店の隣に古刹「静安寺」あります。創建は3世紀の三国時代らしく、呉の初代皇帝の孫権(そんけん)によって建立されています。元々は別の名前のお寺だったそうですが、唐の時代に永泰禅院と改名し、北宋時代の1008年に今の名前の「静安寺」となっています。その後、度重なる戦火や革命等によって一時は衰退しましたが、IMG_3329現在は再興し、中国内陸の最も重要な密教の真言宗道場です。本堂にあたる大雄宝殿は1984年に再建され、その中にある本尊の仏像は玉仏と言い、1991年5月に開眼式が行われています。どうやら、銀の仏様で高さ3.9㍍と中国最大級です。

 ところで、この寺院を創建した孫権ですが、あの映画「レッドクリフ」では張震(チャン・チェン)が好演していましたね。三国志で有名な曹操、劉備、孫権の3人は英雄でもあり、才能ある武人でもあったのですが、この孫権は無類の酒好きで、晩年は暗君と言われました。小人で悪臣の甘言や中傷で無実の部下を何人も失脚させ、その後、跡目を継がせる予定だった長男の急逝でたいへんな後継者争いが起き、またもや逸材たる部下が何人もいなくなっています。孫権は若い時代は優秀だったそうでうですね。人間は年を重ねると精神、思考、体力が衰える中で「過去の成功体験」が『老害』になる見本の様な人生だったそうです。この事で国内の亀裂が軽くなかった事は、孫権が死去して30年もたたないうちに呉が滅亡した歴史が物語っています。

series◆日中友好⑧〜遠くても地下鉄〜

 IMG_3368上海地下鉄3号線の漕渓路(そうけいろ)駅と宜山路(ぎさんろ)駅間を行く電車です。宿泊したホテルの部屋から撮影しました。車輌はフランスのアルストムと提携している南京浦鎮車輛廠が製造しています。宿泊したホテルは上海南華亭酒店という三ツ星ホテルで一泊300元少しでした。昨年は確か10,000円が800元程度でしたが、今回は557元と厳しいレートで円安を身近に体験しました。ホテルのフロントには日本語が話せるスタッフがいないのが少し不安でしたが、iphoneの翻訳アプリで一人でチェックアウトは出来ました。

 上海の地下鉄は正式には上海軌道交通という名称で韓国/ソウルと同じ様に路線名は数字での表記で駅名も漢字が解るので思った以上に自然に馴染めました。路線総延長は412.6㌔とソウルの半分ですが、ソウルの地下鉄には随分と乗ったので、違和感はなかったです。ただ、自動券売機の外国語は英語しかなく、ソウル地下鉄には日本語表示があるので、少し残念に思いました。なんか、こうしてアジアの国に少しずつ慣れていく自分が怖い気がします。

series◆日中友好⑦〜CRH〜

 IMG_3295 中国で鉄道に乗るのは1998年に上海からの金華のディーゼル機関車牽引の列車での往復以来二回目で地下鉄、新幹線ともはじめての乗車となりました。地下鉄は4号線の上海体育館から10号線の虹橋路で上海虹橋(左上の写真)に行き、そこから中国新幹線と言われる高速鉄道に乗り、無錫東まで行きました。この高速鉄道は中国鉄路高速と言い「hinaailwayigh-speed」からアルファベット3文字「CRH」と略されています。車内は日本の新幹線と同じ3+2シート時速で300㌔で所要時間は25分とあっと言う間に到着でした。中国の新幹線は主要都市を結んでいますが、IMG_3293日本の様に在来線との接続はしていない感じです。無錫市の中心の無錫駅から東に15㌔の場所に「CRH」の無錫東駅があります。シンプルでメリットもあるでしょうが、モータリゼーションの後の開通だけに地域の住民は不便を感じないかも知れませんね?この在来線(中国ではこの様な表現はしないと思いますが…)無錫駅から上海までは126㌔を1時間半で行きます。機会があればこちらも乗ってみたいですね。

 無錫は呉の発祥の地の一つとなった歴史ある都市です。元はスズ(錫)を多く産出して、「有錫」という名前の鉱工業都市だったのですが、余りにもたくさん採掘し過ぎて前漢あたりまでに鉱山が枯渇して、「無錫」と呼ばれる様になった…由来の話は有名ですね。しかし、今ではこれと違った研究もあるそうです。

心・仏陀の教え⑪~不快~

 不快に感じる気持ちは、外敵要因として愛別離苦以外は他に何も無いかも知れません。総て自分の心が喜怒哀楽を決めているのですから、不快に思うのはきっと、心が拙いからなのでしょう。これを仏性が無いからなのか?今が修業の身だからなのか?悩む処です。IMG_2616 世の中、兎に角、他人の待遇や処遇を含め、様々な事が気になって仕方の無い人かいます。そうかと言ってその他人が苦しんでいても知らん顔ならまだしも、その不幸を残酷にも喜んだりします。他人の不幸は蜜の味なんて言いますからね。
 こうして人が賤しい動物になった理由の一つに感性ある心を持ち、満足度を求める中で、向上心と優越感を取り違えてしまった事があげらます。より強いオスとメスが結びつき、種の保存を計るのは本能ですから仕方ないと言えばそれまでですが、二足歩行により空いた二つの腕は人を傷つける為でも、苦悩する頭を抱える為でも無く、他ならぬ心許せる身近な人の手の温もりを確かめ合う事が目的だったと考えてみて下さい。同じ様に、口も嘘をつく為では無く、秘めたる心の内を伝える為にあるのです。私もあなたも不快に思うのは心が拙いからです。

下京区のソースカツ丼

 SN3O11162月17日のブログにアップしてある大阪の西成区や住之江区にある同じ名前のとんかつ屋さんの総本山のお店は、実はもう京都にはないのですが、その支店は残っていて今月初めに行ってきました。創業53年の老舗で京都水族館の東にあります。でも、大宮通から細い道を入った場所なので、近所や地元の人の利用が多い様です。先週の月曜に大阪のソースカツ丼をアップしたところでしたので、今回はとんかつでなく、ソースカツ丼にしました。キャベツがご飯とカツの間に敷いてあるタイプでしたが、美味しく頂きました。近いうちにとんかつを食べに行きたいと思います。SN3O1148

 さて、今日は土用の丑の日ですね。左下の写真は先週の土曜日の歴史部日帰り御朱印ツアーで滋賀県を訪問した時のランチの鰻重です。土用の丑のの日の直前とあって、限られたメニュー、予約不可、店内大混雑という状況でした。ウナギは愛知県で丹精込めて育てられたものらしく美味しく頂けました。肝心のウナギですが乱獲?等の理由で自然界から激減しており、成魚の輸入量も3割以上も減っているそうです。本来は2~3年我慢するか?回数を減らすか?何か策を講じないと近い将来、鰻が食べられなくなるかも知れませんね…。