Monthly Archives: 5月 2013

楽日

 昨年の9月から月末の「そばの日」には“新・そば処”をアップしていましたが、今月はお店の紹介ができる蕎麦の写真がありませんでした。よって、先日の日曜日の家でのランチの“おろし蕎麦”です。毎月月末(みそか)が「そばの日」ですが、日本麺業団体連合会が制定しています。昔、SN3O1006江戸の商人が毎月の月末に縁起物として蕎麦を食べていたことに由来しています。細くて長いそばの形状から、身代(しんだい⇒商家の財産)が長続きするようにという願いが込められていたと言います。写真はGWの東北ツアー時に買った山形の蕎麦です。土方歳三

 さて、今日で今期、64期も終了し、明日からは65期となります。6月は社内行事も何かと多いのですが、新体制のスタートダッシュの重要な一月となります。

 また、本日は新選組の鬼の副長こと“土方歳三”の誕生日です。1835年(天保6年5月5日)に武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)で農家の10人兄弟の末っ子として生れています。大河ドラマ『八重の桜』では土方歳三は“村上淳”が好演しています。『八重の桜』もいよいよ前半戦のクライマックスですね。5月26日の第21回“敗戦の責任”…たった45分では語りつくす事のできない内容です。それにしても、徳川慶喜が松平容保を道連れにし、夜陰に乗じて江戸に帰ったのはあきませんなぁ…。味方の兵を置いたままですからね…。敗戦の責任はともかくとして、敗戦の原因はこの日の“愚策”ではないかと思う次第です。

初瀬街道

 SN3O0993京都、大和方面と伊勢を結ぶ初瀬街道は672年の壬申の乱の時に、後の天武天皇である大海人皇子が通った道としても知られていて、江戸時代の国文学者のOLYMPUS DIGITAL CAMERA本居宣長も著書である菅笠日記の記述通り、歩いています。また、ここ名張市は東大寺二月堂への修二会(お水取り)に使用する松明(たいまつ)を納める伝統の「松明調進行事」でも知られています。昨日の「しまかぜ」撮影時の水田の横には写真の様な道標がありました。今回は「撮り鉄」で来ましたので、次回は「松明調進」ゆかりの赤目町一ノ井の極楽寺もお詣りしたいと思います。SN3O0996

 さて、初瀬街道は現在の国道165号線の別名でもあります。近鉄大阪線と並行して走っていますので撮影ポイントと重なる場所もあります。右上の写真は室生大野にある国道165号線を越える大きなコンクリート橋です。鉄道ファンにはちょっと知られた撮影地です。そして、この日のランチは2月25日の「榛原のやきめし」でアップしたお店で“やきめし弁当カラアゲ入り”を食べました。相変わらず店内は繁盛していて、ライダースーツの人もけっこういました。165号線沿いのラーメン屋さんでは人気のお店ですが、やっぱり秘伝のタレの「やきめし」は絶品で他のお客さんもオーダーされていました。

人気の「しまかぜ」

 OLYMPUS DIGITAL CAMERA先週の土曜日に近鉄大阪線の榛原~室生口大野~三本松~赤目口に観光特急の「しまかぜ」の撮影に行きました。今年の3月21日から運行がスタートしていますが、大人気でGWを過ぎた今の時期でも、伊勢神宮式年遷宮の影響があるのでしょうか?休日も平日もわずか数日で指定席が完売する程のフィーバーだと耳にしました。さて、OLYMPUS DIGITAL CAMERA新型特急の撮影にわざわざ来ている「撮り鉄」なんかはいないと思っていたのですが、左の写真の赤目口駅寄りのこの場所には8人も陣取る盛況ぶりでした。

 近鉄大阪線の奈良県と三重県境の山岳地帯は宇陀川に沿った風光明媚な山谷区間で、好撮影地がいくつもあります。右の写真は17時40分過ぎと少し遅めですが、難波への戻りの「しまかぜ」も棚田がある三本松駅の近くで撮影しました。人気の「しまかぜ」ですが、年内には是非とも乗車してみたいと思っています。

心・仏陀の教え⑦~日々感謝~

 「感謝ができない人」と「感謝をされない人」は表裏一体です。そして、結果と言う実績の報酬が金銭だけですと、金額の満足ゆえに感謝を忘れてしまいがちです。『感謝』、『謙虚』、『誠実』、『配慮』はワンセットで、健全な人間性を構築する重要なKEYWORDです。素直に感謝できる心は豊かな日常生活の基礎になり、IMG_2160幸福の感受性が高まります。人間は妬みや羨みがあると“素直な心”から距離を置き、心が孤立します。心が孤立すると、欲求不満や疑心暗鬼になり、権力欲にすがった上に、簡単に他人を否定してしまいます。そして、その結果、浅ましい行動をとり、とても満足からは程遠い馬鹿らしい優越感にすがり、勝手に自分自身の心が満たされたのだと錯覚します。

 こう言った事は特別な事ではなく、誰しも何らかの誘惑や苦悩と斗いながら今の自分を成長させようとしているのです。お金による可能性は確かに、一見、豊かな生活へつながりますが、同時に出来る事の限界も知ります。なるべく人間関係にお金が介在していない方がシンプルで長続きします。大切な事柄なのは「不安をお金で解決する…。」事は本来の姿ではないという真理です。

 ブッダは古代インドにおいて、商工業が発達し、貨幣経済が成立される事も見て、知っていて、そして…執着をしてはならないと説いています。お金で生まれた様に見える縁は、簡単に切れるのではなく、実は初めから繋がってはいないのです。お金だけでは縁は生まれないのです。そこに「日々感謝」の気持ちがないと…。

221系電車リニューアル

 DSCN00451989年(平成元年)にJR西日本として初めて投入する車両となった221系も25年近く経過し、さすがに車内のリニューアルが必要となり、体質改善工事として昨年から全車両474両が対象に実施されています。先日そのリニューアル車輌に乗車しました。変更の目立った内容は①つり革は握りの大きさと太さを拡大し、目立つ黄色になっています。②トイレの扉を自動化し、車椅子での利用可能にして大型化しています。③扉間の転換式座席が3列減少させて、その12名分を収納式補助席に変更しています。 DSCN0044DSCN0043

 奈良工場の最寄駅の大和小泉駅がある大和路線にはこの221系の後の後継・新型の223系、225系は競合する私鉄が無い為に走っていません。南海と競合する阪和線、阪神や阪急と競合する京都線、神戸線にはどんどん新型車が入るのに…。何れにせよJR西日本は物持ちの良い鉄道会社ですね。1963年(昭和38年)に登場した103系がまだまだ現役なんですから…。でも、そろそろ絶滅危惧種って感じです。その103系電車についてはまた、書きます。 

大阪市営地下鉄開業80周年

 SN3O0988今月で開業80周年を迎えた大阪市営の地下鉄において、開業当時に使われていた初代の車両の旧100形が一昨日まで市役所玄関前で展示されていました。当時は大阪市交通局ではなく、大阪市電気局と言って、写真は1933年(昭和8年)5月に御堂筋線の前身となる高速電気軌道1号線で運用されていた電車です。通常は住之江区の検車場で保管されていますが、今回はイベントという事で展示されていました。台車がないのが少し残念ですが、指定有形文化財でもあり、昭和初期の最高水準の技術を駆使して設計、製造されています。そして、80年にわたる大阪市営地下鉄の原点とも言うべき貴重な鉄道遺産です。DSCN0011

 大阪市の地下鉄は1930年(昭和5年)、第1号線の梅田~心斎橋3.1㌔の工事が開始され、難航しながらも3年後に開通しています。これは東京で1927年(昭和2年)に開通した東京地下鉄道株式会社の浅草駅~上野駅間につぐ日本で2番目のものであり、市営地下鉄では日本最初となりました。そして、主要ターミナルの難波には1935年(昭和10年)、天王寺までは1938年(昭和13年)に延長開通しています。

新・散歩道⑫

SN3O0983 写真は新・散歩道で時々登場する池で、夜明け時には撮影対象側となる場所からの一コマです。5月の散歩は7時台は日差しもきつく、1時間近くの行程になると愛犬ジャックもヘバリ気味となりますので、こうして撮影がてら一休みをします。この池には鴨の仲間の水鳥もいて周囲の柵が身の安全を保障してくれて、定着している感じです。

 今日は“広辞苑の日”です。1955年(昭和30年)のこの日に岩波書店から『広辞苑』の初版が発行されています。現在は第六版で1000万人を超える読者がいるそうです。大きくて鞄に入れて持ち歩くことが難しい事もあり、現在はDVD版や電子辞書版、携帯電話版もあります。しかし、辞書はじゃまくさくても、アナログ検索をする事が大切なのです。結果的には頭に残り易く、検索効果は必ずある様です。

大阪市電霞町開業百周年

 DSCN0031大阪市交通局は、「大阪市営交通110周年記念事業」のプレイベントの第一弾として新世界に特設会場を設けて「市電霞町線開業百周年記念イベント」を開催し、市電車両の展示をしていました。私は雨の中、最終日の5月19日にちょっと覗いてきました。展示されていた大阪市交通局2201形電車は1954年(昭和29年)に製造され、今里車庫に配属の後、1968年(昭和43年)まで現役で走っていた様です。大阪の市電は最盛期に118㌔にも達して、都電に次いで2位の総延長を誇っていました。霞町線(かすみちょうせん)は、SN3O0990恵美須町~霞町間を結んでいた路線で、1913年(大正2年)4月16日に開業し、1966年年(昭和41年)4月1日に廃止されています。

 ところで新世界と言えば串カツやどて焼きで有名なジャンジャン横丁があって、なにわの下町でディープ&チープな場所なんです。最近はかつての歓楽街のイメージから離れて観光地化した感じです。でも価格はお安く、写真の上スタミナうどんは300円です。かけうどん、かけそばが150円からメニューにあるここでは有名店らしく、この格安感にはびっくりします。

維新の本流

 5月12日に放送された大河ドラマ「八重の桜」の第19回『慶喜の誤算』を見て、改めて考えさせられるのですが、薩長への倒幕の密勅は偽勅だったというのは真実なのでしょうかねぇ?また、孝明天皇の死の真相が病死でないのなら、聖徳太子の存在や邪馬台国の場所云々以上にたいへんな新事実で、大騒動ではないでしょうか?
 明治維新は薩長によって捻じ曲げられて推移したもので、旧幕府側から見るとテロ行為にも等しい暴挙だと見る人もいるでしょう。赤報隊をはじめ偽官軍とされた不幸な集団や天狗党、天誅組などタイミングが悪い為に歴史の影に葬られた組織の実態がすべて明るみにはなっていないと思います。そして、今後それが全部解明される事もないでしょう。IMG_2397
   明治維新は明治政府というより、薩長サイドの評価ですから、私はこの後の研究で見解が変わる可能性もあると思っています。ただ、歴史は数多の尊い人の犠牲の上に成立しています。反省すべき点は今に、未来に活かさないといけません。そして、現在の歴史観の基本となった小説や古文書、各種文献等の適正な評価、分類もきちんとしておくべきです。いずれにしても、日本の教育現場というか、真の学舎たる場所を構築した上で、もっと『明治維新』の勉強、考察がなされるべきである事は間違いありません。歴史を見る限り、明治維新の本流は“話し合い”でなく“殺し合い”です。ゆえに痛みを伴う改革であり、大きく日本の国が動いた歴史上の出来事として評価がついて来るのですが…。

 最近「維新」という言葉が政治の宣伝に安易に使われたきらいがあって、どうも安っぽく感じます。会社の来期65期の経営方針は『大成維新』からスタートします。「維(これ)新なり…。」の意味の通り、印刷会社ですから正に“刷新”していく事が『維新の本流』だと思います。

対面石と板そば

 IMG_3094  山寺のある宝珠山の南側の麓を東西に流れる立谷川にかかる宝珠橋近くに大きな岩があり、これを対面石と呼びます。860年(貞観2年)に慈覚大師が山寺こと立石寺を開くに時に、この地方を支配していた伝説の狩人の磐司磐三郎(ばんじばんさぶろう)と大師がこの大石の上で対面し、仏道を広める根本道場を求め、寺院建立の了解を得たと伝えられています。自然の景観を生かし、山岳仏教の霊場を築きあげるため、殺生をやめてほしいという、慈覚大師の尊い言葉と御心に感動した磐司磐三郎は、生業である狩猟をやめて、自らも仏道に帰依して立石寺開山の基礎づくりに協力しています。SN3O0954

  その石と同じ名前のお店があり、各種そばやずんだ餅などが食べられる甘味処も兼ねた食堂です。参拝した後のランチはこちらのお店で頂きました。前日の“芋煮”効果で「芋煮そば」をオーダー人が多かった中、私は山形名物の「板そば」を食べました。板そばは山形県の内陸部でよく食べらる蕎麦で、かつて大きな長い板や木箱にそばを盛り付けた事が名前の由来です。現在もざるではなく木で作られた長方形の浅い箱状の器に盛られて出てきます。蕎麦殻を挽き込んだ黒い蕎麦粉で田舎そば風で、太くてやや硬めですが、とても美味しく、グーです。お店によって多少は異なりますが、ざる蕎麦より「板そば」の方が量も多く、値段も高い設定となっています