Monthly Archives: 10月 2012

新・そば処⑦

 今年食べた蕎麦でアップしていない一コマがありましたので紹介しておきます。写真は信州、上田駅の高架下にある信州そば屋さんのランチメニューです、今年の夏に高校時代の部活(鉄研)のメンバーと信州の上田交通に行った時に食べています。上田駅はJR東日本(長野新幹線)、しなの鉄道、上田交通(右上の写真)の3路線が乗り入れていますが、在来線が走っていない為に“青春18切符”では行けません。

 上田市は奈良時代から別所温泉が開かれ、国府もあった歴史ある町です。そして、六文銭の旗頭で有名な真田一族の居城、上田城があり、戦国時代において数に勝る徳川軍との二回にわたる上田合戦は有名です。現在の上田城は日本100名城の一つで人気も高いお城ですがこの時は歴史より鉄道が優先して、訪問は見送りました。

 蕎麦はもちろん、信州そばでおいしく頂きました。このお店はそば屋さんと言うより、四季の地元の野菜を使った旬菜料理、美味しい地酒が楽しめるお店で夜は居酒屋さんの雰囲気です。

京都市役所

 京都市役所も設計者は武田五一氏で一昨日の島津製作所旧本社ビルと同じ昭和初期の頃に建築された京都の看板的な近代的建築です。1997年(平成9年)10月12日に地下鉄東西線の二条~醍醐間が開通に際し開業した「京都市役所駅」が最寄りの駅です。近くには本能寺や池田屋跡等の史跡もあって、繁華街からはそう遠くないのですが、少し人混みが緩和される気がする地域です。ランチなどはこのあたりでする方が何となくゆっくりできます。

 市役所前には広場があって、フリーマーケット等にも使用され、先日も鼓笛隊が練習していました。

幻の上海

 1991年から起こったユーゴの内戦は私の結婚の年代と近く、また1984年の冬季オリンピックが開催されたサラエボも戦禍に巻き込まれ、非常にショッキングだった記憶がありますが、もう20年も前の話です。ユーゴの内戦はその後2000年あたりまで続き、スロベニア紛争(十日間戦争)、クロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争、マケドニア紛争等いくつもの名前の紛争が勃発しています。

 今年は平和の祭典であるオリンピックがロンドンで開催された年で、また上海は一昨年、万国博覧会のあった都市です。9月と10月の2回の中国渡航はそれなりに緊張した出張でしたが、訪れた上海は思った以上に平穏でした。報道では特筆された激しい部分だけが報道されているのか?それとも逆に氷山の一角か?は定かではありませんが、在留邦人が6万人近くも生活し、短期滞在者を含めると10万人以上が滞在している上海は世界有数の国際都市です。10万人と言えば、私の住む大和郡山市の人口より多いわけです。そういった国際都市での暴動は似合いませんし、70を超える姉妹都市が世界にあるのです。 都市に生活している人は政治活動ではなく、商業、工業、金融など経済活動をしているのですから、そういった交流をする文化人同士の揉め事は“幻”であって欲しいものです。

良き秋日

 国会議事堂の設計や法隆寺や鳳凰堂の修復などで知られる近代日本を代表する建築家の武田五一氏が1927年(昭和2年)に設計した京都の島津製作所旧本社ビルが今年の3月にレストラン&ウェディングのスペースとして生まれ変わっています。昨日、京都の新旧がおりなすモダンなその建物で奈良工場の若手社員の結婚式があり、出席してきました。結婚式場は京都のまん中の河原町御池(かわらまちおいけ)にあって、私の生まれた家の近くでもあり、親しみを感じる場所でこの様な趣のある建物がリニューアルをしていたとは知りませんでした。

 さて、肝心の結婚式ですが若い二人の門出を祝福すべく、素敵な演出、趣向がたくさんあって今時のウェディングパーティーでした。新郎新婦の学生時代の友人がたくさん出席されていましたが、交友関係の広さと深さに驚きました。副社長を始め私、副工場長以下奈良工場の招待者も美味しい料理に舌鼓を打ちながらの楽しい披露宴で、秋晴れの良き秋日となりました。

京王カラー

 島根県の城下町の松江市と出雲大社、出雲市を結ぶ一畑電車に在籍する2100系電車は1994年(平成6年)に京王電鉄の5000系を譲渡、導入した電車です。南海から譲渡された車輌が今春に南海カラー(元南海21000系色)に塗り替えられたばかりですが、今度は京王カラーが誕生した訳です。夏には塗り替えられていたのですが、先週、島根に出張に行った際に雲州平田駅の車庫で見かけました。一畑電鉄以外は伊予電鉄、富士急行、琴電などでも活躍している京王の5000系ですが、全国的にも人気のある名車です。この車庫のある雲州平田駅はかつて平田市駅と名乗っていましたが、2005年3月に平田市・大社町・湖陵町・多伎町・佐田町の2市4町が新設合併で出雲市になり、平田市がなくなった時に開業時の駅名の雲州平田駅に戻されています。そして、松竹映画の『RAILWAYS49歳で電車の運転士になった男の物語』の舞台の一つとなった駅として有名です。

暗殺の日

 本日は1909年(明治42年)、伊藤博文が、満州・朝鮮問題についてロシア蔵相ココフツォフと非公式に会談する為に、中国吉林省のハルビン駅に列車で到着し、構内に降り立ったところを、朝鮮独立運動家の安重根(アンジュウコン)の銃弾に倒れ、死亡した日です。 伊藤博文は、亡くなる一箇月前に高杉晋作の顕彰碑に、「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目駭然として敢えて正視するものなし。これ、我が東行高杉君に非ずや」で始まる碑文を寄せています。1911年(明治44年)5月20日に開催された東行顕彰碑の除幕式には本来なら出席予定だった伊藤博文の代わりに井上馨が参列しています。 この顕彰碑は山口県下関市にある曹洞宗の寺院の東行庵(とうぎょうあん)にあります。

 明治維新が「関ヶ原の戦い」の敗戦藩に寄るところは単なる偶然でしょうが、薩摩、長州の官軍は明治~大正、昭和にかけても歴史を動かしていた事には違いないでしょう。来年の大河ドラマは「八重の桜」です。会津戦争は日本史上稀に見る悲劇ですが、明治維新の勝者によってつくられた歴史の裏側を勉強するにはいいドラマになると面白いと思います。正義を信じ、尽忠報国を貫いた会津の人たちのことも忘れてはいけません。明治維新で薩長に倒された徳川幕府は260年間、続いたのも事実ですし、朝敵の汚名を着せられた会津藩主の松平容保は死ぬまで身に着けて離さなかった孝明天皇からの宸翰(しんかん/天皇の直筆手紙)には、「朕は会津をもって頼みとしている。一朝有事のある時はその力を借らんと欲するものである」と書いてあったのです。歴史は事実を書物で読み、遺構や史跡を訪ねて勉強し、自分なりの史観を育て、認識を持つ事で、得られる真実もあるはずです。ところで「八重の桜」のキャストで西郷隆盛役が吉川晃司さんというのは少し、イメージが合わない気がしますね。

高山本線

 本日は高山本線が1934年(昭和9年)に全線開通した日です。高山本線は、岐阜県の岐阜駅から高山駅を経て富山県の富山駅までの総延長225.8㌔の鉄道路線です。岐阜駅 ~ 猪谷駅(富山市)間はJR東海、猪谷駅 ~富山駅間はJR西日本の管轄となっています。岐阜と富山を特急「ワイドビューひだ」でも3時間以上はかかりますが、各駅停車だとプラス3時間になります。それが、長いか短いかは人によりけりですが、車窓を楽しみたい乗り鉄には青春18切符のシーズンがお勧めです。

  途中の下呂温泉は兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉と並ぶ「日本三名泉のひとつ」と称された天下の名泉です。3つの共同浴場で外湯が楽しめるので、途中下車で立ち寄るのも鉄道旅行の楽しみの一つです。

MNP

 本日は2006年(平成18年)に携帯電話の番号を変えないで他の会社に契約を変えられるナンバーポータビリティ(MNP/Mobile Number Portability)が開始された日です。私自身が携帯電話を契約したのは2000年(平成12年)の11月と周囲でも割と遅い方でした。その頃はNTTdocomoが半数を超える勢いで、私が選んだ「au」は25%程度のシェアでした。契約する少し前にNTTドコモグループに対抗するため、ブランドを「au」に一本化しDDI、KDD、IDOの三社が合併してKDDIを発足させています。

 実は私の好きな“相棒シリーズ”でも「au」の携帯電話がよく使われていますね。少し昔になりますが、亀山さんが持っていたG’zOne のW42CAやW62CAは、同じものを使っていただけに嬉しくなりました。刑事や警察関係者もドラマだけでなく頻繁に使っているのでしょうね。便利な時代になりました。個人を特定して電話ができる訳ですから、取り次ぐ文化は過去のものとなっています。しかし、携帯電話の功罪はよく考えないといけません。機能が便利になるスピードに人間が追いついてない事よりも、過去から大切にしていた事を見失わない様にしたいものです。

 ACJAPANの北海道地域のキャンペーンで“マトリョーシカ”を使ったものがあります。(他の地域でもHPで見られます。)昨年の大震災の教訓からも携帯電話も繋がらない混乱した災害現場では家族がバラバラにならないように、各家庭では「緊急時の集合場所」を決めておく事が必要ですね。我が家の場合は大和郡山市総合公園にしています。

電信電話記念日

 今日は「電信電話記念日」です。後の電電公社、現在のNTTの前身である電気通信省が1950年(昭和25)に制定しています。これは1869年(明治2年)の9月19日(新暦では10月23日)、東京~横浜で公衆電信線の建設工事が始まった事に由来しています。そして、その4年後1873年の同日、 後に「明治六年政変」と言われる事件が起きています。朝鮮使節派遣の中止が決定し、征韓論派が敗れて、西郷隆盛が当日、板垣退助らが翌日に参議の辞表を提出し、受理されています。これで西郷隆盛以下多数の征韓論派が下野し、翌年の佐賀の乱から1877年(明治10年)の西南戦争に発展する不平士族の乱やその後の自由民権運動のきっかけとなっています。

 また、1992年の同日には天皇・皇后両陛下が歴代天皇で初めて中国を訪問されています。ちょうど国交正常化20年の節目でした。実はこのブログは一週間以上前の10月14日(日)に書いています。そして、私は21日(日)の午後より明日の24日まで上海に仕事で来ています。18回目の中国渡航です。無事に帰国できる為にも今日はこのあたりにしておきます。

新・散歩道②

 刈り取った“稲の天日干し”の風景ですが、専業農家の数と比例してか、最近は少なくなった感じです。地方によって名称が異なる様ですが「ハゼ掛け」や「ハザ掛け」と呼びます。出雲地方ではもっと何段にも高くして「ハデバ」と言っていましたね。こうして天日干しで乾燥させたお米は、自家用米が多いようで、やっぱり、手間はかかるけれど、格段に美味しいからです。 天日干しすると、養分がお米の中にゆっくりと入ってきて、美味しい味になるのです。エコの観点からも火力乾燥より自然乾燥は地球に優しいし、丹精込めて育てたお米の最後の仕上げですから、言葉では言い表せない何かが宿っているのでしょう。 そして、稲は刈り取られてもまだ生きていて、葉は光合成を続けて最後の力を振り絞って養分を籾(もみ)に注ぎ込もうとしているそうです。

 人は、こうして自然の力を利用して何かを作る時に「気持ちを込める…。」や「魂を宿す…。」等の精神を学んできたのです。それは、製造業にも通じます。印刷会社の材料の紙やインキも自然の原料を元に作られていますので、単なるコスト意識だけでなく、自然界の大切な資源ですから、無駄使いはよくありません。多くの農家の方が自分の田んぼのお米が一番だと自負する謙虚な姿勢を“稲の天日干し”を見て感じ取りたいと思う…いつもの散歩道の秋の風景です。