Monthly Archives: 8月 2012

幻の五新線

 構想や計画、或いは建設の段階で中止されて、実現しなかった鉄道路線を「未成線」と言い、日本全国に多数あります。最近では廃線跡や未成線にロマンを感じ、歩いてみたりする鉄道趣味のジャンルもあります。五新線は建設中に中止になっていますので、国道24号をオーバークロスする高架橋跡橋や天辻トンネルなど遺構として残っています。

 もともと五新線は、奈良県の五條と和歌山県の新宮を鉄道で結ぼうとした壮大な計画で、沿線の吉野杉などの木材を鉄道で輸送させる構想が明治末期から浮上していました。その計画が1920年(大正7年)に本格的になり、工事は1939年(昭和14年)に着手しています。一時、戦争のために中断しましたが、1957年(昭和32年)再開し、二年後に五条駅から現在の五條市西吉野町城戸まで路盤が完成しています。しかし、西吉野村内に予定された駅の設置数が当初より少なく、バスであれば容易に停留所を設置できることから、当時の西吉野村は鉄道としての部分開業に反対し、バス路線を主張し、地元が二つに割れる結果となりました。また、その混乱に拍車をかける様に近鉄・南海両社の乗り入れ案の構想も出てきますが、すぐに無くなっています。結局、紆余曲折を経て、1982年(昭和57年)に工事が凍結し、残念ながら計画は断念されています。五條市にある和歌山線五条駅はなぜか“五條”ではなく“五条”と表記しています。私の独自の勝手な感想ですが、何か計画がうまくいかなかった事に結びつく不自然さです。

 そして、高速道路を走らない路線バスでは、日本最長距離と言われる奈良交通の紀伊半島縦断路線が大和八木から五條、城戸、上野地、十津川温泉、川湯温泉を通り、新宮まで走っています。所要時間は何と6時間半で道幅の狭い山間部を含め168㌔㍍を走破するバス路線です。途中、五新線の遺構もあって、奈良県に住んでいる内に一度は乗車してみたい路線です。

高鴨神社

 日本サッカー協会のシンボルマークで皆さん御存知の三本足の八咫烏(やたがらす)に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を始祖とし、賀茂(鴨)一族の発祥の地である奈良県御所市鴨神に高鴨神社(たかかもじんじゃ)はあります。賀茂(鴨)一族は大和の名門の豪族のひとつであり、この高鴨神社は一族の氏神様でもあります。そして、世界遺産の京都の上賀茂神社や下鴨神社をはじめとするカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社として知られています。右の写真は手水舎の後ろに広がる宮池で、何か龍でも棲んでいそうな神秘的な気配を感じます。

 奈良県は南に行くほど時代を遡って行く感じで、歴史の懐の深が伝わってきます。多少、事前の調査や準備が必要ですが、この辺りが奈良の古き良き時代の一面である事は間違いありません。観光地化していない処に自分なりの発見もあり、千数百年昔と何も変わらない山々の風景の中を夏の涼風がやさしく通り抜けていきます。

一言主神社

 奈良も葛城(かつらぎ)市から御所(ごせ)市に抜けていくと、世界遺産の熊野古道である小辺路(こへち)等の看板も目にし、南の遥か遠方には紀伊山地の山々が連なっているのが見えて、県北部に人口が集中しているのだと改めて思う次第です。先日の日曜日に全国の一言主(ひとことぬし)神社の総本社となっている葛木一言主神社に参拝に行って来ました。場所は葛城山麓の奈良県御所市にあり、大和郡山からだと自動車で小一時間を要します。祭神の一言主神は願いを一言だけ聞いてくれる「いちごんさん」として地元の人から親しまれています。

 御所市は古代の大和国葛上郡の地で、古瀬付近は高市郡巨瀬郷に属していました。一桁代の天皇の故宮があったとされる場所も少なくありません。また、鴨都波神社、一言主神社、名柄神社、高鴨神社、葛木御歳神社などの古社も数多く残っていて、室大墓古墳、巨勢山古墳群等の古代遺跡もたくさんあります。もともと、古代豪族の葛城氏の本拠地であり、最近においてもも2004年に極楽寺ヒビキ遺跡、2009年には秋津遺跡が発見された神話、伝説の土地ですね。

富雄の鰻

 奈良県の富雄川その昔、「富の小川」と呼ばれていて、古今のさまざまな歌で詠まれています。そして、地名としては近鉄奈良線と富雄川が交差するあたりが富雄地区となります。その富雄駅の西側に写真の鰻屋さんはあります。徒歩でも5分程度です。私は個人的には奈良工場から車で20分~30分程度で行ける鰻屋さんの中では一番美味しいと思います。…というか…そんなにたくさんの鰻屋さんに行った訳ではありませんが、奈良県で食べた鰻では一二を争うこだわりの味です。先週末に2回目の訪問となりましたが、その日は宮崎産の国産鰻でした。出てくるのに多少時間はかかりますが、その分丁寧に調理されている感じです。鰻と蕎麦は多少時間がかかる方がなんとなく安心できます。一昨年、熊本の人吉で入った鰻屋さんではオーダーしてから鰻丼が出てくるまできっちり一時間かかりました。さて、ここのお店の焼き方ですが、関西風で蒸さないのにふっくらとして外はパリッと香ばしく仕上げてあります。30年近く使い続けられてきた秘伝のタレも濃過ぎずにベストマッチです。

北向観音

 信州上田市の別所温泉にある北向観音(きたむきかんのん)は天台宗の寺院で近くにある常楽寺が管理されています。平安時代初期の825年(天長2年)円仁こと慈覚大師によって開創されたと伝わります。長い歴史の中で兵火により焼失し、その都度、再建、修復を加え、1961年(昭和36年)に大規模な増改築によって、善光寺の本堂と同じ「撞木(しゅもく)造り」となっています。

 「北向」の名前は長野の善光寺の南向きと、向き合って堂が北向きに建つことに由来しています。これは、北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙(えこ)となって済度をなさん」という観音様の誓願によるものです。善光寺の来世の利益、北向観音は現世の利益をもたらすという事で双方のご利益は一体のもので、その一つを欠けば「片詣り」であると言われています。

 左下の写真は観音堂の西方崖の上に建てられた薬師堂で「医王尊瑠璃殿」と呼ばれています。現在の建物は再建で1809年(文化6年)に地元の薬師講の人たちによって建立されています。温泉の効能にあわせて病気を除き解脱(なおすこと)するという深い温泉薬師信仰によるものとされています。この夏は「安楽寺」と「北向観音」だけの参拝でしたが、信濃国分寺、常楽寺、大法寺、中禅寺等もいつかの機会に別所温泉といっしょに訪問したいと思っています。

新・そば処④

 松本駅構内の0・1番ホームにある信州そば屋さんには1分以内で出される普通の「駅そば」と茹でるのに3分以上を要する「特上そば」があります。「特上そば」でも420円ですので、電車の入線時間を過ぎていましたが、「特上そば」にしました。歯ごたえがあって、美味しかったです。松本駅には大糸線と松本電鉄の6・7番ホームにも駅そば屋さんがありましたが、同じ系列のお店かどうか未確認です。

 私は中津川行の電車に乗車しましたが、松本駅始発の中央西線の電車はけっこう混みます。よって、入線時間にはホームに居て、2時間半に及ぶ列車の旅の席の確保はしたい処です。ただ、3両編成だったので私一人分なら大丈夫と判断しました。乗り鉄は「駅そば」等の鉄道グルメとともに、こうした席の確保の予想なんかも楽しいものです。

 

安楽寺

 戦国時代に真田一族が築いた上田城を中心とする城下町の上田市は「信州の鎌倉」と呼ばれるくらい、古刹も多く、以前から訪問したい場所でした。今夏、上田交通に乗車する機会がり、終点の別所温泉にある国宝の三重塔で有名な安楽寺への参拝が叶いました。三重塔は五重塔と同じ様に仏教の祖である釈迦の遺骨である仏舎利をおさめる仏塔で、国宝は全国に13基あります。私にとっては11基目の三重塔となりますが、安楽寺の八角三重塔は中国宋時代の唐様という様式で建築されており、日本最古の禅宗様建築であると言われています。

 曹洞宗の寺院の安楽寺は鎌倉時代以前の歴史ははっきりしませんが、創建は天平年間、行基の建立とも伝わっています。しかし、13世紀半ばに入宋僧の樵谷惟仙(しょうこくいせん)が安楽寺に入った事が、実質的な開山と言えるでしょう。上田交通の別所温泉駅から緩やかな坂道を徒歩20分程度で、安楽寺の入口となる寛政4年建立の黒門に到着します。その門を潜ると、7月中旬から8月中旬頃までが見頃の蓮池を右に見て、今度は山門より境内に入ります。本堂を拝観して左手の石段を上っていくと、前方の見上げるような場所に、木立の中に佇む八角三重塔のすばらしい姿を見ることが出来ます。見る人によっては四重塔と思えますが、建築学上、一番下の屋根は裳階(もこし/ひさし)であり、正確には「裳階付き木造八角三重塔」となります。安楽寺というお寺の名前も多く、廃寺を含めると全国に20箇寺はありますが、この信州、上田別所温泉の安楽寺は信州最古の禅寺で紛れもない名刹の一つです。

旧友

 今年の夏休みは京都の高校時代の部活「鉄道研究会」のメンバーと原則、現地集合、現地解散で長野に行ってきました。写真は参加した大手の総合家電メーカー勤務のY君です。彼の後の電気機関車は日立製作所が1927年製造したED5000形という古豪です。老朽化で2002年に須坂 ~信濃川田間での廃車回送の任を最後に、同年3月末付で除籍されていますが、須坂駅構内の入換には使用されている様です。

 高校時代と言うと軽く35年前です。高校一年の夏休みに、大垣夜行で上京した冒険旅行を今でも鮮明に覚えています。当時の部員では連絡がとれない人もいますが、近々「会誌の復刊と記念イベント」を考えています。

湯田中のカツ重

 信州の湯田中温泉は文献によると開湯は7世紀頃の天智天皇の時代、僧智由により発見された歴史の古い温泉です。この地は草津街道の宿場であり、また同時に湯治場でありました。松代藩の真田氏は湯田中温泉の湯を好んで、お城にも温泉を届けさせたと言います。当時は上山田や戸倉、別所温泉はなかったのでしょうかね?長野鉄道の終点でもあり、先日の長野県訪問時に元小田急電鉄のロマンスカー(10000形HiSE)で特急券100円を払って温泉に入ってきました。駅前湯はなんと入浴料が300円とうれしい価格です。

 駅前の食堂にカツ重なるソースカツ丼が重箱に入った珍しいメニューがあったので、ランチに頂きました。なかなかのお味でトンカツも肉太でした。長野はカツ丼を含め、トンカツ等のノボリをよく見ました。地域的にはそばに続く定番メニューかも知れませんね。

 湯田中温泉は五稜郭に立て籠もったあの榎本武揚の妻の叔父の軍医の松本良順先生ゆかりの地でもあります。負傷者の治療が多かったからでしょうか…温泉入浴法を示し、長寿の湯と絶賛しています。良順先生は初代の陸軍軍医総監で新選組局長の近藤勇等と親交があって、京都では新選組隊士の診療を行っています。戊辰戦争では幕府側の軍医として従軍しています。

新村駅

 10回の渡航ですっかり乗り慣れた韓国の地下鉄の2号線に新村(シンチョン)駅がありますが、写真は長野県のアルピコ交通上高地線(旧松本電気鉄道)の“新村駅(にいむら)”です。上高地線は松本 と新島々を結ぶ総延長14.4㌔の鉄道路線で車窓に広がる雄大な北アルプスを堪能できる高原鉄道です。現在、鉄道路線は上高地線しかありませんが、かつては松本市北東部にある浅間温泉までの浅間線なる路面電車も営業していた事があります。

 今年の春まで1921年(大正10年)に開業した時以来の駅舎が使用されていましたが老朽化により、新駅舎に変わっています。車両は元京王電鉄の井の頭線で活躍していた3000系電車で、各地の地方私鉄に譲渡されています。その中でアルピコ交通の白色の車体は写真に映えないと思っていましたが、空の青さに雪山を連想させるスノーホワイトのコントラストも悪く無い…と思った次第です。

 駅の近くに専称寺という浄土宗の立派な寺院がありました。この専称という言葉は“専(もっぱ)らに称(とな)える”、すなわち、専修念仏、称名念仏の意味です。同じ名前が全国に20箇寺近くあり、この意味の内容から浄土宗、浄土真宗の寺院ばかりです。次回、この地を訪問する機会があれば、参拝しようと思います。