Monthly Archives: 11月 2011

興福寺三重塔

  SN3O0017 国宝の阿修羅像や五重塔で有名な興福寺ですが、境内にある三重塔も国宝で、北円堂ともに鎌倉時代の創建で、興福寺の建造物では最古です。毎年、秋には北円堂の特別公開が行われますが、今年は同時に三重塔が公開されました。

 興福寺は薬師寺と同じく、法相宗の大本山で南都七大寺の一つに数えられる古刹です。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺です。昔から、僧兵などを配し、強大な勢力を誇って、平清盛の五男の平重衡(たいら の しげひら)の南都焼討にあっています。来年のNHKの大河ドラマ「平清盛」でこのシーンはあるのか?ないのか?今から楽しみです。

 国宝に指定されている三重塔は全国に13基あり、私は今までに9基、見ていますが、総て近畿地方にあるので、関西在住のメリットを感じざるを得ません。興福寺の三重塔は五重塔の影で、ついつい見逃しがちですが、西国三十三所観音霊場の第九番札所の南円堂のすぐ西にあります。

天理ラーメン

SN3O0010    “喜多方ラーメン”や“尾道ラーメン”などと同じくご当地ラーメンの“天理ラーメン”は奈良県天理市を発祥とするラーメンです。一言では表現が難しいのですが、麺は縮れ麺で、スープはトンコツ、鶏ガラをベースにニンニク、豆板醤で味付けし、具には炒めた白菜、豚肉、ニラを使用した、濃厚でありながら、あっさり感とコッテリ感が絶妙にミックスした少し辛い醤油味のラーメンですね。写真はその“天理ラーメン”の代表格的なお店のラーメンです。昭和43年に屋台からスタートし、現在は奈良を中心に近畿に10店舗以上あるチェーンです。「ニンニク無し」はないので、食後の行動をよく考えて行く必要がありますね。

2011晩秋の京都①

  IMG_2337  昨日は京都の西本願寺へ龍谷ミュージアム開館記念・親鸞聖人750回大遠忌法要記念講演会「釈尊と親鸞」を聞きに行きました。聴講自体は無料ですが、事前の申し込みが必要で、作家の五木寛之のお話という事もあって、3,000人を超える聴衆で、重要文化財の御影堂(ごえいどう/重要文化財指定名称は大師堂)は埋め尽くされました。底冷えのする堂内ではひざ掛けが配られ、1時間10分もの五木氏の講和に耳を傾けておりました。現在、五木氏の「親鸞・激動編」は全国の新聞44紙に1700万部に掲載される程の熱烈な支持があります。親鸞の時代は日本における末法思想が台頭してきた頃でしょうか…。そして、一言で片づけることはできませんが、法然、親鸞、道元、栄西、日蓮などの日本仏教史上有数の高僧が同時期の登場した背景は、IMG_2334今の時代と照らし合わせてみる事も必要でしょうし、こうした、鎌倉新仏教の壇家信徒が圧倒的に多いのも事実です。IMG_2325右の写真は西本願寺の境内の大銀杏の古木です。 

  また、講和の前後に晩秋の京都も楽しみました。11月の社寺参拝としては“藤森神社”と“隋心院”でした。また、機会を設けてアップします。今年は紅葉も少し遅めでまだ一週間〜10日くらいは楽しめそうです。写真のとんかつは“藤森神社”近くのお店です。駅ですと京阪電車の墨染駅が最寄りになります。このあたりの人気店の様で、近くに大学もあるからでしょうか…ボリュームも味も抜群です。

仏陀の教え①

極楽寺の石仏 「真理の言葉」といった意味の“法句経(ほっくぎょう)”は釈迦の語録の形式を取った原始仏典の一つです。その中に「憎む人が憎む人にたいし、怨(うら)む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪(よこしま)なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする」とあります。これが、今年の冬に刊行された「超訳/ブッダの言葉」では「君を嫌っている敵が君に対してする酷い仕打ち、そんなものは大したことじゃない。君を憎む人が君に対してする執拗な嫌がらせ、そんなものは大したことじゃない。怒りに歪んだ君の心は、それよりもはるかに酷いダメージを君自身に与えるのだから…。」とあります。 

 ここ数年、東京を中心に遠方から訪問して頂くお客様と法隆寺に行く機会が増え、国宝の数とその歴史の奥深さに心ときめき、ご朱印帖に感動し、聖徳太子をあがめ敬い、そして2500年の時を超えて心揺さぶる「仏陀」にたどり着きました。やる事、やらねばならない事がたくさんありますし、まだまだ働ける年齢ですが、もっと、もっと早くに数多の勉強が必要だと気がつくべきでしたね。出雲市から奈良に引っ越して来て本当に良かったと、今年…初めて思った次第です。

天津チャーハン

 SN3O0012京都市に本社を置く餃子が看板の中華料理のチェーン店は関西だけではなく、今や…ほぼ全国区と言ってもいいでしょう。私が出雲市に住んでいた頃は島根県に店舗はなく、隣の鳥取県までわざわざ出かけていました。(現在は松江市、出雲市に各一店舗あります。)学生時代に慣れ親しんだ懐かしい味だけに、今でもこの餃子の右に出る餃子はないと思います。

 ところで、最近このチェーン店で「天津チャーハン」なる一品に遭遇しました。天津飯の中味がチャーハンなのです。昔から、こんなメニューがあったらいいのに…と思っていただけに、うれしくなって、キャンペーン中に食べました。私が小さい頃はこの蟹玉は確か、芙蓉蟹(フヨーハイ)と言っていましたね。今でも、高級中華料理店では言うのでしょうか……馴染みのないメニューとなった感じです。この、「天津チャーハン」は誰かのリクエストか?会社のアイデアか?はわかりませんが、粋な計らいに満足した次第です。

続・小泉城

SN3O0011   大和小泉の小泉の名前が残る小泉城は室町時代に小泉氏が築城しました。小泉氏はもともと興福寺衆徒で地元の筒井氏とは長く、反目し対立していました。最終的には筒井氏の一族と伊賀の国へ移ったという話もありますが、小泉城は江戸時代には片桐氏の居城となって、明治維新を迎えています。櫓などは復元されていますが、特に見学する事も出来ず、雰囲気を味わう歴史マニアが時折、訪れているくらいです。

    興福寺衆徒というのは自国内の武士を自寺の衆徒として組み入れ、特に大和武士(やまとぶし)の事を指して衆徒と呼びます。大和の国では興福寺が守護職を務めていました。奈良は長岡京に遷都されてから、歴史の表舞台から消え、特に大きな戦いもなかった様ですが、実は大和永享の乱(やまとえいきょうのらん)というのがありました。室町時代の1429年(正長2年)に発生しています。興福寺大乗院衆徒の豊田氏と興福寺一乗院衆徒の井戸氏の対立に端を発し、大和一国に広がったと言われています。もっとも、幕末にも大和義挙、大和の乱などとも呼ばれる天誅組の変(てんちゅうぐみのへん)という有名な騒乱がありましたね。このあたりの事は二つとも、日を改めて書きたいと思います。

野尻駅

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 昨日は二十四節気の“小雪”でしたね。「こゆき」でなく「しょうせつ」です。2009年の映画「カムイ外伝」の抜忍スガル役を演じた女優の“小雪”さんは「こゆき」です。 季節が寒くなり、いっきに冬に向かいます。私が住んだ事のある堺市にも、出雲市にも「野尻町」はありましたが、2010年の3月に宮崎県の小林市に編入された「野尻町」が有名みたいですね。この“野尻”という地名は全国にあるのでしょうか?また、「野尻湖」となるとナウマンゾウの化石が出土する湖としてもよく知られている湖が長野県にあります。写真は同じ長野県の中央西線の「野尻駅」です。長野県木曽郡大桑村大字野尻にあって、標高も500?を超える高地にあります。開業は1909年(明治42年)9月と100年以上も前ですね。

 写真は松本方面へ特急との交換で停車した時の一コマです。このあたりは単線なので、たまたまこうした写真が撮影できました。頂に雪を冠している標高2956㍍の木曽駒ヶ岳(きそこまがたけ)がきれいです。

中華丼

 SN3O1052写真は何回か紹介しているJR法隆寺駅の北側にある食堂の「中華丼」です。名前に「中華…」とついても中国の料理ではなく、日本独自の料理です。多少は広東料理の影響もあるのでしょうが、中国では基本的にはないメニューです。…と言っても、中国は歴史も古いし、国土も広いし、人口も多いので総てを調べた訳ではないので確証はありません。歴史は昭和の初めに東京の中華料理屋さんで、ご飯の上に八宝菜をのせて欲しいというリクエストから誕生したという事です。 さて、このお店の「中華丼」ですが、ボリュームもあり、値段も500円台という安さで、味もグーです。「中華丼」と同じ様にマーボー丼や天津飯もリクエストから生れた丼だそうですが、『リクエストに応える!』って事はどこの業界でも「必要」と同じく、発明の母なのですね…。

身延線

 OLYMPUS DIGITAL CAMERA3月11日の東日本大震災の被害で未だに東北地方のJRでは運休状態の路線が大船渡線、八戸線、山田線、石巻線、仙石線等多数あります。一日も早い、全面復旧を祈っております。今年は震災を含め、大雨の土砂崩れ等によって、今までにない広範囲かつ多数の箇所で、路線が寸断された年となっています。写真の身延線は9月22日の台風15号による盛土崩壊などの影響で、現在でも内船駅〜身延駅(9.4㌔)間は不通で、全線運転再開は来春の予定です。この区間の身延両町境付近では、高さ12㍍、幅50㍍にわたって線路下の盛り土が流出し、線路が枕木ごと、魚の骨の様に宙づりとなっていて、その映像をニュースで見たときは衝撃的でした。

 写真は2006年12月23日に身延線へ撮影に行った時の一コマで、時間は15時前ですが、陽光は夕陽の西日の赤さを感じ、関西より随分と東方にいるのだと思いました。場所は富士宮の近くでしたので、B級グルメの草分け的存在の“富士宮やきそば”は美味しくいただきました。

新・課長の壁⑨〜一隅を照らす〜

 CA3B0047写真は天台宗の総本山比叡山延暦寺の国宝、根本中堂です。織田信長の焼き討ちの後、幕府の知恵袋と言われ江戸幕府初期の朝廷政策や宗教政策に影響力を持った慈眼大師(天海)の進言で三代将軍徳川家光の時代に再建されています。その天台宗を開かれたのは伝教大師・最澄です。最澄の書かれた『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の冒頭に「径寸十枚是れ国宝に非ず、一隅を照らす此れ則ち国宝なり」とあります。意味は「お金や財宝が国の宝ではなく、自分自身の置かれた立場やその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝なのです。」という事です…。一人ひとりがそれぞれの持ち場でベストを尽くすことによって、社会全体が明るく照らされていくのです。そして、自分自身の為ばかりではなく、他人の幸福、全人類の幸福を求めていく事につながります。人の心の痛みがわかり、人の喜びが素直に喜べ、人に対して優しさや思いやりがもてる心豊かな人こそが国の宝であるとおっしゃっています。そして、そういう心豊かな人が集まれば、明るい社会が実現します。当たり前の事ですが、中々実践できている人は少ないですね。