Monthly Archives: 3月 2011

課長の壁①

 課長と梅2いうのは一部門としての課の責任者を指す呼称で、監督的立場の役職ですね。奈良工場に来られる仕入先さんの営業マンで若い人が課長だと、随分としっかりしているのでしょう…という印象が植え付けられます。私は前職では課長になる前に係長で退職しています。そういう意味では“課長の壁”は私に圧し掛かったままになっています。確か、昇進試験を受ける前日(勉強はしていたのですが…)に工場の責任者から『明日の試験は受験しなくていい…。』という突然の言葉を理解できずに、呆然としたまま…春を迎えました。会社によっては主任⇒係長⇒課長というステップもあるでしょうし、いきなり一般社員から課長に昇進という企業もあります。

 現在でも“課長の壁”は様々なシーンで感じます。課長という役職に翻弄され、飲み込まれ、悩んでいる人間もいます。当然、課長が通過点の人もいるでしょうが、課長が永遠の目標という係長や課長が最終局面という人もいます。そういう意味でもやはり、ある意味“課長の壁”には覚悟が必要です。

 課長職はマネージャーですから、マネージメントを要求されます。単にリーダーの主任、係長より上役というだけでは勤まりません。組織を預かり、部下を育成、教育し、経営陣を補完できうる実力を問われます。ですから、課長になる前に、組織のあり方、マネージメントの手腕などイメージしながら、準備しておく事が肝心です。準備とはいろいろありますが、例えば1冊、自分のノートをつくって、①問題解決の実績や②組織のあるべき姿、③資料作成の自分なりのノウハウ等を認めておくと良いですね。

東日本巨大地震

 CA3B00433月11日(金)〜3月15日(火)まで、韓国、中国に出張していました。このブログは事前に予約投稿しているので地震の最中でありながら、タイムリーな話題でなく、申し訳ありません。地震の一報は11日(金)の午後に韓国のインチョン空港で日本からのメールで知りました。ソウル市内へのバスの中のテレビでその様子が映っており、M8.8のテロップから未曾有の規模の震災だと感じました。韓国、中国ともホテルではNHKのニュースが放映されていましたので、日々悪化する状況が伝わってきました。その中で、地震のみならず、津波、福島原発の緊迫した状態、電力の供給事情の悪化、被災地の救援等どれも心を痛める報道に自分自身が日本国内にいないという不安と焦燥感の中、15日(火)の夜に帰国しました。

 奈良工場の周辺のお店には単一の電池が皆無でした。救援物資の確保、そして被災地への供給が日本全国で行われているのだとよくわかります。『天罰』という心無い言葉に被災地の方同様、心を痛めております。そして、今回の地震でお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げます。同時に被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。また、被災地で救援活動をされている方の作業も想像ができない程の御苦労だと思います。現実問題として、私が明日から救援活動に参加する事も叶わないのも事実ですが、一人の人間として、今の立場で出来うる事を最大限にし、家族、社員、お客様をはじめ仕事でお世話になっている方々、地域の人々に改めて感謝と思いやりの心で接する事を心がけたいと思います。

117系電車

 117系電車は、国鉄が1979年から製造した直流近郊形電車です。1979年から1986年にかけて、主に老朽化した新快速電車の153系の置き換え用として製造され、1987年の国鉄の分割・民営化時にJR西日本とJR東海に承継されています。

 IMG_1223s新快速は「快速」の更なる速達化として、1970年10月の大阪万博の終了直後に初めて設定されています。当初の運転区間は京都駅 と 西明石駅間で、新幹線停車駅である新大阪駅を通過するという今では考えられない運行で、途中停車駅は大阪、三ノ宮、明石のみとしました。運転本数は日中の毎時1本の6往復のみでした。そういった中で阪急や京阪の特急に見劣りしていた車両を一新すべく誕生したのが117系です。しかし、デザインや車両自体だけでなく、スピード面において、私鉄との競争を意識しすぎた為、余裕のないダイヤが福知山線の大きな事故の一因となった気がします。写真は1979年に新快速用として登場した時の茶色とクリーム色のオリジナル塗装です。