Monthly Archives: 9月 2010

続・田中神社

 百万遍、京都大学の北、叡山電車の元田中駅の近くに「田中神社」はあります。創建は弘安年間(1278〜88年)の事とされ、本社の祭神は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」です。この神社には二羽の孔雀が奉納されています。神の鳥として親しまれ、その華麗な姿が話題となっています。OLYMPUS DIGITAL CAMERA一羽は白い羽毛の孔雀、でもう一羽は緑色に綺麗な模様が入っています。(二羽ともオスだそうです。)で、「くじゃくみくじ」がありました。私はおみくじはほとんどしないので、ひいていませんが、最近、京都の社寺を紹介した雑誌には載っていました。御朱印を書いて頂きましたが、社務所の方が『あなたの苗字は田中さんですね。』と気安く声をかけて下さいました。

 本日で、9月も終わりです。明日から10月、神無月ですが、出雲に御縁のある私としましては『神在月』として、神妙にまた、安穏に過ごしたいものです。 それは、奈良県桜井市にある大和国一宮の大神神社は「大国主神(おおくにぬしのみこと)」の別名の大物主大神(おおものぬしのみこと)が祭神だからです。この大国主神は出雲大社の祭神ですね。ですから、奈良県も『神在月』で良いと思っています。

パワースポット②

 写真は奈良市の少し外れた高畑町の住宅街にある「頭塔(ずとう)」です。最近、新聞や雑誌にも紹介されていて、パワースポットブームで訪れる人も多くなったとか。7段の石積みを備えた土でできている塔で一辺32メートル、高さ10メートルで和製ピラミッドとして知られています。いくつか瓦ぶきのひさしがあって、浮彫の石仏があります。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 『東大寺要録』の記録では、奈良時代の僧、実忠(じっちゅう二月堂のお水取りを始めたとされる)によって国家安泰を願って、造営されたと伝わっています。そこでは「土塔」(どとう堺にありますね。これも日本のピラミッドと言われています。)と表記されています。また、一方で、藤原広嗣の怨霊によって死んだ奈良時代の高僧の?(げんぼう)の首塚であるという説もあります。「どとう」が転じて「ずとう」と称されるようになって、玄?首塚説との関連で、「頭塔」という漢字が当てられたものと考えらています。見学は午前9時から午後5時までです。見学料は300円です。ちょっと、一人での見学は多少不気味かもしれませんが、「頭塔」の周囲を一周すると案外、近くの民家、住宅に溶け込んでいて安心します。「頭塔」は1922年(大正11年)3月8日に国の史跡指定されています。

邂逅

 OLYMPUS DIGITAL CAMERA路地裏の予期せぬ「ささやかな発見」を期待して、表通りから道を一本、入る事があります。写真は「発見」なのか、心の中の何かの「発動」なのか?区別がつかない場合が多いのですが、見たものを今の気持ちとリンクさせながら、ひたすらシャッターを切って写してみます。本来はその時の心境を現像や焼き増し、展示等で後々、確かめてみるのも面白い筈でした。しかし、デジカメは撮影した一コマ、一コマを残酷にもすぐに見せてしまいます。その写真に自覚のない表情が眠っているのに気がつくと、案外「ぞっ」としてしまいます。この感覚は誰に教わった訳でもなく、その様な手法が存在しているのでもなく、被写体と心の中の邂逅を漠然と「心地よし。」としたい前提があります。「写真はカメラと頭と心で撮影するものですよ。」と囁く声が路地裏から聞こえてきます。

ライバルは自分

 「あしたのジョー」の矢吹丈は好敵手の力石徹がいたからこそ、ボクシングに熱中し、上達しました。力石徹が矢吹丈との試合で死んでから、ジョーはスランプに陥ります。しかし、ライバルが力石徹やカーロスリベラ等の相手ではなく、自分の心の中にあるのだと気がついて立ち直ります。最近では「ライバルは自分!」joeという言葉は活躍しているアスリートたちの間でもよく使われています。ライバルは自分!」と「評価は自分でする!」という言葉を私は【対】として考えています。それは、目標は自分で決め、その到達への評価も自分でするという事です。当然、安易な目標、独りよがりの評価では何にもなりません。ある程度レベルの高い課題を自分に持たせて、モチベーションを維持して、目標完遂に励んでいると、時々の軽々しい賛美や、時には耳を覆いたくなるような野次、罵声に一喜一憂する事はありません。そして、他人の評価より、自分の評価が重要である事に気がつきます。「問題は解決される為にある!!」とよく言われますが、能力以前に半分以上は自分の「こころの持ち様」で決まります。そう、「必ず解決する!!」ともう一人の自分に誓う、あなたの決意があるなら大丈夫です。

慢心

 三水偏に曼で私の好きな漫画の「漫」の字です。草冠に曼で、蔓延の「蔓」という字です。そして、立心偏に曼は慢心の「慢」です。他にこの字は我慢、傲慢、高慢、怠慢に使われます。曼の字自体は「長いとか、長く一面に おおう様をあらわす」という意味があります。(長い魚で鰻ですね。写真はこのお彼岸に京都に墓参に行った時のランチです。7月15日のお店とはまた違います。)私生活でも、仕事でもマンネリは良くありません。元々、マンネリズムは形式主義や様式主義の意味でしたが、現在ではワンパターンや時代遅れ等の否定的な意味で使用されます。%e6%85%a2%e5%bf%83

 『慢心』はこころに隙を作ります。特に何かをやり遂げたり、築き上げたりした後の「自信」は『慢心』になり易いと言われます。鴨長明の『方丈記』の冒頭にゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例しなしとあります。日本では支配階級や社会の上層階級が永く継続した例は少なく、浮沈を繰り返してきました。そして、安定ではない変貌や変革という事がある意味、新しい安定という見識が生れてきました。

 これは日本人が歴史に学び、『慢心』を棄て、変化に対応できる『謙虚』な姿勢があったからではないでしょうか?この『謙虚』を習ったのは小学校の時でした。担任の女の先生が黒板に好きな言葉として『謙虚』と書かれました。小学生の私にはピンときませんでしたが、未だに記憶しています。辞書での意味は控えめでつつましい事とありますが、素直に相手の意見を受け入れるともあります。これが大事ですね?慢心』に気がつけるか?自分自身で気がつかないなら、指摘や注意をしてくれる同僚、家族、友人がいるかが大切です。

近江屋跡

 この石碑は近江屋跡として京都市の四条蛸薬師下がった所にあります。近江屋は土佐藩の出入商人です。確か以前は旅行代理店の前にあった筈ですが、今はコンビニエンスストアーの前です。旅行代理店がなかったので、当然ですが、石碑が移ったのではなく、お店が変わったのです。大河ドラマ『龍馬伝』OLYMPUS DIGITAL CAMERAの9月19日放送の第38回「霧島の誓い」は龍馬とお龍が鹿児島での療養の話ですが、残り10回となりました。(48回の予定?⇒1回も見ていない私は、12月の総集編を録画して来年の春にゆっくりと、楽しみます。)

 坂本龍馬と中岡慎太郎が十津川郷士と称する男たちにこの醤油商近江屋の二階で襲撃されたのは、寺田屋事件の翌年の事です。龍馬に対して、いろいろ忠告があった様ですが、近江屋に留まっていました。忠告通りに土佐藩邸に移っていたら、日本の歴史はどうなっていたのでしょうか?歴史に『たら・れば』は禁物ですが、想像するだけで面白い話です。

 さて、実行犯は?と言うと… ?京都見廻組実行説?新選組犯行説?薩摩藩陰謀説?イギリス陰謀説等諸説がありますが、一般的には?が有力の様です。この事件で坂本龍馬は33歳、中岡慎太郎は30歳の若さでこの世を去っています。大政奉還から一カ月後、王政復古の大号令の直前の事です。

出雲号

 %e5%87%ba%e9%9b%b2%e5%8f%b7出雲市に転居した1991年頃の鉄道の被写体は出雲号と一畑電車、キハ52がメインでした。「出雲号」は浜田まで運転している列車と出雲市止まりと2本がありました。 客車列車もまだ何本か山陰本線には健在でした。正直、のんびりした良い時代だったと思います。昼前に出雲市止まりの列車が回送としてこの神戸川の鉄橋を轟音とともに渡っていきます。迫力ある撮影シーンです。ここには自宅から15分くらいでお手軽撮影ポイントとして来る事が出来ました。2本とも「出雲号」は午前中に出雲市に到着するので、西から東を向いて撮影します。よって、順光にはならないのですが、この回送列車は昼前で、何とか光線状態の良い時間帯になっています。現在はこのブルートレインの「出雲号」はなく、伯備線経由で出雲市と東京を結ぶ、オール電車の「サンライズ出雲」が走っています。 出雲市を18:55に出発して東京には翌朝の7:08に到着します。食料は持参しないといけませんが、シャワー室等もあり、快適です。

木屋町界隈

 OLYMPUS DIGITAL CAMERA7月14日の「高瀬川」の時にも少し書ましたが、木屋町界隈は昔からの歓楽街で、その昔、親などには「夜は通らない方が良い。」などと言われた記憶があります。しかし、中々風情もあって、OLYMPUS DIGITAL CAMERA被写体にも事欠かない場所で、落ち着く喫茶店等も多々あり、若い頃は「街撮り」に、カメラ片手によく散策しました。9月11日に久しぶりにウロウロしましたが、若い人が多くなった気がしますね。それは私が単純に昔から30年間、年齢を重ねただけではなく、お店等をみても若者志向になっています。三条大橋西詰めの大手コーヒーショップチェーン店を見ても時代の流れは感じます。ここは昔、旅館か何かだったと思いますが、正直すぐにはピンときせん。白黒写真は私にとっては懐かしい風景に思えるのですが。やはり、ここは思い切って被写体を新しいものに変えるべきなんでしょう。変貌や変革の流れに抗って、昔の事を回顧するだけでは成長がありません。趣味でも仕事でも、人生でも、陳腐化させない工夫が必要です。

天神信仰

 右の写真は大阪府、堺市の「菅原神社」です。通称、「堺天神」で地元の方には天神さんで親しまれています。祭神として菅原道真(すがわらみちざね)公、天穂日命(あめのほひのみこと)、野見宿祢(のみのすくね)を祀ってあります。997年に天神社として菅原大神を奉祀して、明治5年に天神社を菅原神社と改めています。

 菅原道真公は学問の神様で有名な人物です。京都の北野天満宮や福岡の大宰府天満宮をはじめ各地の天満宮はゆかりの神社で受験シーズンには学業成就のご利益を求めてたくさんの人がお参りをします。もともと、天神信仰(てんじんしんこう)は、天神(雷神)に対する信仰のことです。特に菅原道真公を「天神様」として畏怖・祈願の対象とする信仰のことを言います。なぜ、畏怖する様になったのかは、別の機会で書かせていただきます。img_0375s

 今回はリクエストがありましたので、大阪市北区の通称「お初天神」こと『露天神社』について書きます。ここも菅原道真公ゆかりの神社です。祭神は大己貴大神(おほなむちのおおかみ大国主の若い頃の名前と言われています)、少彦名大神、天照皇大神、豊受姫大神菅原道真SN3O0003の五柱の神を祀ってあります。社伝によれば、この地はその昔、曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ小さな島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたとされています。創建は700年頃で、「難波八十島祭」旧跡の一社とされています。社名の『露天神社』は、菅原道真公が福岡の太宰府へ左遷される途中に、ここで都を偲んで涙を流したからとも、梅雨のころに神社近くの井戸から水が湧き出たからともいわれています。御朱印も『露天神社』ですが、通称は「お初天神」と呼ばれ、このあたりの商店街の名前にもなっています。その由来は1703年、元禄の頃に神社の境内で実際にあった遊女と醤油商の手代の心中事件をテーマとして、近松門左衛門が書いた人形浄瑠璃曽根崎心中』のヒロインであるお初の名前からとられています。境内には二人のブロンズ像もあります。私は昨年の1月にお参りしています。

デハニ50形電車

 写真のデハニ50形電車は映画「RAILWAYS」で一躍有名になった電車です。デ電動車、ハ三等車(「イロハのハ)、ニ荷物室の意味で現役の頃は客貨同時輸送を考えられていました。この写真では車両の向こうの人が小さくて何をやっているのか見えにくいですが、バラスト散布です。img-0017s一般的にバラストの意味は船体の安定を保つために搭載する重量物の事ですが、鉄道業界では、鉄道の路盤の上に敷き詰める砕石を言います。その石を撒いています。まぁ、保線作業の一種ですね。この車両の製造年は1928年とたいへん古くて、自動車とは違って鉄道の車両は案外、長持ちです。扉も手動です。一畑電気鉄道ではこのような自動ドアを持たない車両を「在来車」と呼び、車体塗装を他の車両と変えることで区別していました。他の旧型車が黄色(薄クリーム?)で塗装されていましたが、デハニ50形の車体色がオレンジ色であるのはこのためでした。こうしたオレンジ色はインパクトがあって、写真が映えます。デハニ50形は在来車として最後の車両で、自動化された客用ドアを持たない営業用の電車としても日本で最後の車両でした。私が島根に住んでいた12年間はよく、一畑電車の写真を撮影しました。家の裏に線路があったので姿を見かけたら、カメラを持ち出し、撮影に出かけるというスタイルでした。