Monthly Archives: 7月 2010

転害門

 CA3B0216転害門は東大寺の国宝の建造物です。平城京の東七坊大路、現在の国道369号に面し、一条大路(佐保路)に向かって建っています。昔、東大寺の境内がここまであったという場所です。境内西北、正倉院の西側にある三間一戸八脚門です。1180年の平重衡の兵火、1567年の三好・松永の戦いの2回の大火にも焼け残っています。天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構です。鎌倉時代の修理で改変されていますが、基本的には奈良時代の創建当時の建物です。普段は誰でも通行できる場所にあり、2004頃から野良猫が増えて、糞尿や爪とぎの被害が問題になってます。 場所は奈良市の手貝町です。手貝、手掻、転害・・・と様々な表記があり、転害門の名前の由来も、幾つか語り継がれている様です。転害門のある場所は大仏殿の西北で吉祥の位置です。害を転ずる意味から転害門と…と言われています。

蟹満寺

 CA3B0208京都府木津川市山城町にある「蟹満寺」は真言宗智山の寺院です。創建年代については正確には不詳でありますが、発掘調査から飛鳥時代と推定されています。その後、江戸時代の中ごろに智積院の僧亮範が入寺し再興されました。よって、飛鳥時代の古いお寺ですが、真言宗です。木津川市は京都府ですが、南山城地域の古寺は神童寺や観音寺等、どちらかというと奈良色の強い寺院が多いのも特徴です。CA3B0210

 蟹満寺は「今昔物語集」に出てくる「蟹の恩返し」の縁起で有名で、実際にも蟹幡(かむはた)郷という古代の地名にも由来しています。創建当時は大寺だった様で、現在の本尊は国宝の釈迦如来です。この本尊の由来は諸説ありましたが、創建時から約1300年、同じ位置に安置されてきたことが分かり、山城町教育委員会が2005年10月14に日に発表しています。釈迦如来坐像は高さは2メートル40センチの丈六、薬師寺の薬師三尊像と並ぶ古代金銅仏の傑作です。指の間に水かきのような縵網相があり、生きとし生けるものを、悟りの世界へもれなく救い上げて頂くという形相が尊くまた、ありがたい仏様です。しばらく本堂の立替えで見るのには予約が必要でしたが、昨年末に新しい本堂が完成し、今年の4月に落慶法要が営まれました。現在では新しい本堂の中に日本最古級の釈迦如来坐像が在って、一人でも拝観できます。

賣太神社

 古代、大和平野は南北に通じる古道の上つ道、中つ道、下つ道が縦走しています。その下つ道は別名太子道と呼ばれ、聖徳太子が造成されたと言われています。この道の東側に稗田町(大和郡山市)があります。賣太神社はその稗田環濠集落にある神社です。古事記の伝承者と言われ学問の神、物語の神である稗田阿礼(ひえだのあれ)が主斉神、天鈿女命CA3B0200(あめのうずめ、古事記では天宇受賣命)、猿田彦命(さるたひこ)を副斉神として祀ってあります。稗田は天鈿女命を祖とする猿女君稗田氏のゆかりの地であって、祖先の廟祠として創建されたものとみられています。かつてこの神社は平城京の羅城門近くに在って、道祖神としての役割もしています。天鈿女命は岩戸隠れでアマテラスが天岩戸に隠れてしまい、世界が暗闇になったときに、うつぶせにした桶の上に乗り、力強く、また華麗な動作で踊ったとされる伝説の踊り子で芸能の女神です。

 毎年、8月16日に行われる阿礼祭(あれいさい)は、稗田阿礼の遺徳を偲ぶ祭です。児童文学者の久留島武彦が、アンデルセンに匹敵する「話の神様」は稗田阿礼が最もふさわしいと、自らが発起人となって、全国各地の童話家の協力を得て昭和5年から始っまたものです。稗田舞の奉納の後、地域の子供たちが阿礼様音頭、阿礼様祭子どもの歌を奉納して、童話の読み聞かせなども行われています。

蟹川水門

 佐保川(さほがわ)は、大和川水系の支流で奈良県を流れる一級河川です。奈良市街近くを流れることから、万葉集など古来詩歌に詠まれることもしばしばありました。その支流に大和郡山市を流れる、蟹川があります。CA3B0202写真はその蟹川にかかる「蟹川水門」です。場所は大和郡山市の天井町です。遷都1300年祭に何か…関係しているのでは?と思っていましたが、そうではないらしく、今から10年以上も前に完成しています。案内も無いので、どちらかというと知らない人はまったく知らない水門です。川岸は大和川流域で多用されている「多自然型工法」です。もともと、近自然工法(Neo-Natural River Reconstruction Method)として、地球規模の環境問題が話題になった1970年代に、破壊された自然生態系の復元工法としてヨーロッパで誕生した概念です。日本では近自然という言葉が浸透しにくいということで、「多自然型工法」で表現されています。1990年には、当時の建設省(現国土交通省)から各都道府県に、河川整備事業の一つとして「多自然型川づくりの推進」が指導・奨励されています。 この地より東には周囲に濠をめぐらして外敵や洪水から村を守り、利水を目的とした中世の遺構の稗田環濠集落があります。大和郡山市の史跡です。

安倍晴明神社

 京都の清明神社とは別に出生の地のひとつとされる大阪の阿倍野に「安倍晴明神社」があります。境内には産湯の井戸があり、晴明公没後2年の1007年に花山上皇のご意向によりCA3B0186創建されたと伝えられています。安倍晴明は京都や大阪、岡山、奈良、熊野と広範囲に伝説が残る人物です。なにわのチンチン電車こと阪堺電気軌道の天王寺駅前から三つ目の駅の東天下茶屋下車、歩いてすぐの場所です。安倍晴明神社は熊野神社の分霊社の九十九王子のひとつの阿部王子神社の末社です。CA3B0189

 この二つの神社のすぐ横を熊野街道が通っています。熊野街道は、京から大坂を経て熊野三山への参詣に利用された街道の総称です。紀伊路とも呼ばれていて四天王寺や住吉大社が通り道にありました。当初は、渡辺津(現在の天満橋付近)から熊野までが一体として扱われていましたが、近世以後は紀伊田辺を境に紀伊路・中辺路と区分されるようになりました。後者の中辺路は、ユネスコの世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されていて、こちらが熊野古道として有名ですね。

無心の蝉

 自宅で蝉の抜け殻を見つけました。この蝉は無事に成虫になった様です。蝉と禅は字が似ています。禅語の中に、「寒蝉古木を抱き、鳴き尽くして更に頭を廻らさず」とあります。蝉の一心不乱に鳴く姿は「他人や他の事にとらわれず、自分が今やるべき事を一生懸命にやる事が大切です。」と教えてくれています。蝉と褌(ふんどし)と禅は読み間違いやすい字ですね…。禅からはいろいろな事を学びます。CA3B0236

 話題の大相撲名古屋場所は白鵬の史上初の3場所連続、全勝優勝で幕を閉じました。白鵬の連勝は47で更新中で、来場所の活躍も期待したいところです。白鵬は第69代の横綱です。そう、[69]というと…第35代横綱、双葉山の連勝記録で歴代一位です。1939年1月に前頭4枚目の安藝ノ海に負けるまでの記録です。連勝がストップした夜に双葉山は師と仰ぐ安岡正篤氏に「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」と電報を打ちました。この木鶏は中国の故事(荘子)からの引用で意味は一言で言うと「真に強い者は敵に対して少しも動じないことのたとえ…。」です。そこから、《望之似木鶏》(これを望めば木鶏に似たり)という言葉があり、「見たところ、まるで木彫りの鶏のようだ、これは徳が充満している証拠で他の鶏どもはその姿を見ただけで逃げてしまう。すなわち、徳が内に充満している人間は、無言の説得力で周囲の皆を感化する…。」という意味に進展し、理想のリーダーに求められる条件とされています。 この木鶏、「木鶏子夜に鳴く」という禅語があります。子夜の子は午前零時の子の刻の事で、人知れぬ働きはわからぬうちに…という無心を象徴しています。蝉は今日も無心で鳴いています。

葛井寺

 葛井寺は近鉄南大阪線藤井寺駅の駅前5分の場所にあります。開基は行基で歴史は古く、創建は725年、聖武天皇の勅願による七堂伽藍の建立で古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺ともいう)の勅号をいただき、その落慶法要には、天皇自ら行幸されたと言われています。また、百済から渡来した葛井氏の氏寺として建立されたとも伝えられています。西国三十三所の5番札所で本尊は奈良時代の国宝、十一面千手千眼観世音菩薩で千手にて迷える衆生を救うための大慈悲を示して、唐招提寺、三十三間堂とともに三観音として有名です。CA3B0176この千手観音は毎月18日以外はご開帳されない秘仏です。

 西国三十三所の札所本尊は秘仏となっているものが多いのです。秘仏でないのは6番南法華寺(壺阪寺)の千手観音、7番岡寺(龍蓋寺)の如意輪観音、8番長谷寺の十一面観音、25番播州清水寺の千手観音、32番観音正寺の千手観音の5箇所のみとなっています。これらの秘仏の中には、月1回、年1回など定期的に開扉されるものと、数十年に1回しか開扉されないものとがあります。そんな中で10番三室戸寺の千手観音像は84年ぶりに、18番頂法寺の如意輪観音像が136年ぶり、33番華厳寺の十一面観音像は54年ぶり開扉されました。これは、一昨年の2008年が西国巡礼の中興の祖とされる花山法皇の一千年御遠忌にあたることから、2008年から2010年にかけて、西国三十三所の全札所において順次「結縁開帳」が行われていたからです。この「結縁開帳」では、平素厳重な秘仏として公開されなかった札所本尊も開扉されています。私は昨年の11月に17番六波羅蜜寺(京都)の国宝十一面観音のご開帳に行ってきました。基本的には12年に一度、辰年のみのご開帳ですが、花山法皇の一千年御遠忌という事で拝観してきました。特別ご開帳は本来は2回だけの予定だったみたいでしたが、さらに特別の3回目が11月にあったのです。

道明寺

 CA3B0179大阪府の藤井寺市にある道明寺は菅原道真の祖先とされる土地の豪族の土師(はじ)氏の氏寺、土師寺として聖徳太子が建立された古義真言宗の尼寺です。国宝の十一面観音菩薩は菅原道真の作で正月三箇日と毎月18日、25日にご開帳されます。今年は18日が日曜日なのは4月と7月だけです。4月18日は河内長野市の観心寺の如意輪観音の年に一度(17日と二日間のみ)のご開帳に行きました。河内の三観音として、観心寺(如意輪観音)、道明寺(十一面観音)、葛井寺(千手観音/ここは毎月18日のみご開帳)4月18日にお参りされる方も多いと聞きます…。私は4月18日は観心寺(金堂は府下に5件しかない国宝の建造物です。)だけにして、CA3B00407月18日に葛井寺と道明寺とお参りにきました。

 御朱印は普通は「十一面観音…」と書いていただきますが、もう一つは「木槵樹(もくげんじゅ)」です。(ちょうど、ご朱印帖も7冊目となりました。)この木槵樹にまつわる話が残っています。884年に菅原道真公が五部の大乗経を書き写され埋められましたが、不思議にもその経塚から木槵樹が育ったと伝えられています。その後、鎌倉の田代寺の尊性上人が信州善光寺に参詣のおり「河内土師寺の木槵樹実で数珠を作り、念仏百万回唱えると極楽往生が叶う」と霊夢によって効験が告げられたとされています。こうした話をもとに、謡曲「道明寺」が作られました。(この木槵樹は大阪府の天然記念物に指定されています。)

 関西では桜餅を道明寺と言いますね…。これは和菓子の材料として用いられる道明寺粉が、道明寺の尼が乾燥した糯米(糒=ほしい)を挽き粉状にしたのが始まりと言われていることに由来しています。

 先週、梅雨明け間近な日の夕刻、大阪の福島区、通勤客でごった返す阪神電車の駅前での話です。地面を羽化寸前の蝉の幼虫が這っていました。踏まれてはたいへんと何度か花壇や生け垣に移動させましたが、CA3B0152また、ノコノコと雑踏の中に出てきます。蝉は蝶や蜂、カブトムシ等の卵→幼虫→蛹(さなぎ)→成虫の[完全変態]ではなく、蛹のプロセスがない[不完全変態]として知られています。この[不完全変態]はカマキリやゴキブリ、バッタ等に見られます。写真の様な幼虫はこのまま木に登り、蜂やアリの天敵から逃れるために夜中に羽化し朝までに飛べるようになります。蝉の幼虫は地中で3年から17年は生活して、成虫での寿命は1、2週間とも1ヶ月とも言われています。

 せっかく長い間、地中で辛抱して、モグラなどに食べられずに地上に出たのですから、無事に羽化して成虫になって、大きく羽ばたいて欲しい…と願っております。

併用軌道

 私が高校3年、1978年の秋に京都市電は148万人もの市民に「…私は去り行くものか?」IMG_0155と問いかける事もなく消えていきました。現在でも札幌、函館、岡山、高知、松山、熊本等全国で数多く、路面電車と自動車との共存が実現している都市があるだけに廃止から30年以上の時を経た今も残念です。IMG_0161

 そして嵐電(京福電鉄、嵐山線、北野線)には一部、「京都市内に残る唯一の路面電車」として西大路三条〜蚕ノ社や太秦広隆寺付近が道路との併用軌道として残っています。

 併用軌道とは、道路上に敷設された線路=軌道の事を言います。路面電車などで良く見かける敷設形態ですが、福井鉄道福武線や京阪電鉄京津線などの一般的な鉄道車両が走行する場合もあります。これに対して、道路上以外の場所に確保された軌道は通称「専用軌道」です。右の写真は広隆寺の楼門前の一コマです。広隆寺は聖徳太子ゆかりの古刹で平安遷都以前から存在したと言われています。国宝の建造物として桂宮院本堂がありますが、何と言っても、「宝冠弥勒」と通称される弥勒菩薩半跏像はあまりにも有名です。この像は、ソウルの韓国国立中央博物館にある金銅弥勒菩薩半跏像との様式の類似が指摘されています。実は私は昨年、韓国に出張時にこの弥勒菩薩半跏像に遭遇しています。広隆寺のものは先に見ていましたので、なるほどと…うなづづけました。左の写真は蚕ノ社(かいこのやしろ=木嶋神社)の鳥居です。この近くには、2008年1月に地下鉄東西線延伸による太秦天神川駅開業に従い、「嵐電天神川」が同年3月に開業しています。嵐電としては52年ぶりの新駅開業です。