パ・リーグから学ぶ29:『80周年記念 あの時の記憶【4】』

当社は、節目の70期がスタートしています。

特に期初にあたる6月は年度目標設定会議、韓国への社員旅行、ISO9001更新審査と毎週のように大きな出来事がありました。

また、TAISEI100年史の作成にあたっての対談があったのも6月でした。

内容は「生え抜き対談」という事で、東京支店 営業部の阪上部長と本社 営業部 庄司次長と3人で色々お話をさせて頂く時間を頂きました。

お二人とは約18年一緒にお仕事をさせて頂いています。

 

阪上部長とは、2005年頃に23週間に1度のペースで約40,000個ずつ納品させて頂くようなパッケージの大型受注を取ってこられて、その段取りをさせて頂きました。私が生産管理をやり始めた時期でもあり、大きなご迷惑をおかけする事なく出来た事で少し生産管理としての自信が出来たのを覚えています。

 

庄司次長は、私の1年先輩にあたり、奈良のお客様も持っておられて、急な対応が必要になった時に私が代わりに訪問して打ち合わせさせて頂いた事も何度かありました。また、今でも私の仕事量などは気にかけて頂いており、有り難く思っております。

 

それ以外にも今の役員が入社される前の会社の話。色々、会社が変わって行く過程に携わって来た話、今後の事なども話す事が出来ました。

 

 

FullSizeRenderIMG_1573・内 容:色褪せない思い出

・日 時:1997329

・場 所:大阪球場

・私 は:18

・どこに:現地

 

 

 

写真は、今から21年前に撮影した大阪球場です。

1990年に野球場としての役割を終え、住宅展示場時代として活躍した時代。

でも、この1年後に閉鎖され、解体が始まります。

北海道 大倉山ジャンプ場に匹敵する傾斜角度37度のスタンド。解体の前日まで、暖簾を下ろさなかった「がんこの看板」。

現在流行りのボールパークの定義が「街と一体化され、常に街に開かれ、人を迎えいれる」。とするならば、各種テナントが入ったこの「文化会館」はその先駆けではと錯覚してしまう。

 

今も、全く色褪せない思い出として私の中で残っています。

 

今回の対談やそれまでのお二人との歴史などは私の中で大切にして行き、大阪球場同様、色褪せないものにしていかなければならないと感じています。

 

改めて、貴重な時間をありがとうございました。

これからも、よろしくお願いします。

 

 

TAISEI株式会社  奈良工場

生産管理部 吉田