パ・リーグから学ぶ25:『飯山裕志選手 引退』

ファイターズの飯山裕志選手が引退されましたね。

ご存知ない方もいらっしゃると思います。

 

一言でご紹介するなら、「20年という長い選手人生のほとんどを守備固めとして生き抜いた稀有な選手」

 

写真①飯山選手は、1997年のドラフト会議で4位指名を受けて内野手としてファイターズに入団しました。

足が速いという触れ込みだったそうですが、入団してみるとそれほどでもなかったようで、走・攻・守においてどれも平均以下の選手だったそうです。

当時のコーチも、3年でプロを去ると思っていたそうで、逆に平均以下で目立っていたという証言もあります。

飯山選手本人も、自分の事をヘタクソで、非力で、不器用な選手と語っています。

 

2軍での生活が長く続き、それでも、プロで生きぬくために守備を磨き、2005年 26歳の時に初めて一軍に定着しました。

入団から8年の歳月が流れていました。

それでもレギュラーをつかむ事は出来ずに、先に書いたように長い選手人生のほとんどを守備固めとして活躍されました。

 

○通算成績

・年 数:20

・試 合:911

・打 数:743

・安 打:150

・本塁打:1

・打 点:45

・盗 塁:15

・打 率:.202

 

試合数より打数が少なく、守備で生きて来たのがよく分かります。

また、本塁打も1本。

それもプロ入りから13年目で打っており、これはNPB野手としては史上2番目に遅い記録でした。

 

決して、打撃で著しい数字を残したわけではありません。では、なぜ20年間もユニホームを着続けられたのか。

 

それは、引退にあたって、監督、コーチ、チームメイト、OBが送った言葉に答えがありました。

 

「守備はいつもお手本にさせてもらいました」

「ストイックな姿を見て、いつも勉強させてもらいました」

「投げててすごく安心感がありました」

 

でも、プロという厳しい世界。

守備だけで、これだけ長い現役生活を送れたでしょうか。

次に続きます。

 

「毎日、汗だくになって誰よりもノックを受けていた姿は絶対に忘れません」

「痛い、かゆいも言わない。(守備練習中は)後ろで、裕志が何か盗もうとやってくれていたから、

 僕も21年間(現役でプレーが)出来た。生真面目さ、ストイックさは、僕には超えられない」

「プロで生き抜くために、とにかく守備を誰より磨き続けた」

「球場では絶対にマッサージを受けない。疲労を溜まっているところを人に見せないため」

「一軍であろうと二軍であろうと、常に真っ先にグラウンドに出てきてノックを受け、バットを振る姿が思い出される」

「何で生き続けられるか、ということを早く気づいてストイックにやってきた」

 

ここに至る過程。結果がなかなか出なくても、コツコツと自分の武器を磨き、スキルを高める努力は続ける。

その姿勢が周りにどれだけの影響を与え続けていたか・・・

 

まだまだ続きます。

 

「最後の最後までプロとしてあるべき姿を、我々そして選手たちにみせてくれました」

「入団当初は厳しいプロ野球の世界でやっていけるのかと不安になったこともありますけど結果的には

同期の誰よりも長くチームに欠かせない存在となりチームのすべての人のお手本となるような選手になり

うれしく思います」

「必死にプロの世界で生きていくために、脇目を振らずに野球に打ち込んできたのだと思う

「表現が難しいが、全ての大元になる部分」

「こういう風になりたいと思わせてくれる存在でした」

「過去、ファイターズにおいていかなるスター選手が去った時も、○○ショックという言葉はなかった。

 初めてその言葉が使われるなら、それは飯山ショックだ」

「彼のように当たり前のことを当たり前に出来る選手が控えている安心感がチームにあった」

「一隅を照らす、これ即ち国宝なり この言葉はそれぞれの立場で精一杯努力する人は何事にも代え難い国の宝であるという意味だ。

 先日、引退を発表した飯山裕志選手を評するにふさわしい」

「若手もファイターズでスターになった選手も、みんな少なからず裕志の影響を受けている。それがファイターズの伝統」

「世の中、ホームランバッターやFA選手とか、年俸を何億ももらうような華やかな選手をメディアも持ち上げるけど、

 飯山のようなプロ野球選手こそ、夢を持てる選手だと思う」

 

本当にみんなから敬愛されているのが分かります。

 

沢山、辛い思いもされて、それに耐えて、相当な努力をされて今があるんだと思います。

 

引退試合は、過去のファイターズのスター選手に負けないくらい盛大に行われました。

私もTVで観ていましたが、引退試合で涙を流す選手が多い中、落ち着いて普段と変わらずに振る舞う姿が印象的でした。

 

また、選手の出入りの激しさが球界でもトップクラスのファイターズにおいて、地味な選手を我慢強く育成させ、チームに

欠かせない存在にまでした事は見逃せないですね。さすが、上手だなと思ってしまいます。

 

 

さて、飯山選手の引退で1997年のドラフトで生き残っているのは、写真のホークス 五十嵐投手だけになってしまいました写真②ね。

先発を経験せずにデビューからリリーフのみでの連続登板数の日本記録を更新し続けていますね。

飯山選手同様、自分の居場所をいち早く見つけて、それに徹しているからこそ、記録が続いているように思います。

1年でも長く活躍して頂きたいですね。

 

終わりになりますが、私は今年最後のブログになります。

2017年もお客様、仕入れ先様、協力会社様、受注活動をして頂きました営業のみなさま、その他サポートして頂きました

本社、東京支店、名古屋営業所のみなさま、ありがとうございました。

 

また、奈良工場のみなさん、今期は連日色々対応頂いて本当にご苦労さまでした。

いつも、ありがとうございます。

 

少し早いですが、みなさま良い年をお迎えください。

失礼します。

 

TAISEI株式会社 奈良工場

生産管理部 吉田