Daily Archives: 2018年3月12日

パ・リーグから学ぶ27:『80周年記念 あの時の記憶【2】 26年ぶりの優勝』

80周年を記念して、実際に私が見た32年間を振り返るこの企画。

 

3.12吉田課長2回は・・・

・内 容:26年ぶりの優勝

・日 時:1999925

・場 所:福岡ドーム

・私 は:21

・どこに:ダイエー京橋店

 

 

 

監督就任後初優勝、九州移転後初優勝という事で全国的な盛り上がりをみせたこの年。

 

生誕の地 関西ではその日をどのように迎えたのでしょうか。

 

 

前年、ワースト更新中だった20年連続Bクラスをストップして、確実に強くなって来ていたホークス。

野手は有能な若手がどんどん力をつけていましたが、投手力がFAで実績のある選手が抜けたり、即戦力候補の投手をドラフトで獲得出来なかったりで、1999年もまだ優勝までは無理だろうと私自身、思っていました。

 

でも、シーズンが始まれば、途中で獲得した外国人投手が抑えに定着、また中継ぎだけで14勝を挙げる投手が出現するなど、元々、実績のある選手と相まって白星を重ねて行き、この日を迎えました。

 

ただ、シーズン途中から私の中で、強くなって優勝してくれるのは嬉しいが、同時に手の届かないところに行ってしまう事への不安、葛藤が生まれて来たのを覚えています。

福岡へ移転して10年が経過し、南海色がどんどん薄れて来ていたのも要因にはあったと思います。

 

今ほど通信技術が発達していなかったので、その瞬間を見届ける為にダイエー京橋店へ。

その後は解体工事が始まっていた大阪球場へ。

 

ダイエー京橋店では、生誕の地 関西のホークスファンも優勝を喜んでいますという内容でTV局の取材を受けましたが、

先に書いたように、これで一段と遠いところへ行ってしまって寂しくなりますというようなネガティブ発言で放送はされませんでしたね。

これから、大阪球場に行ってきますという言葉だけが映りました。

 

家に残っている当時の新聞、雑誌を探しましたが、関西目線からの記事が極めて少なく見つけたのが以下。

 

 

26年前は、2シーズン制の前期を制したが、後期は阪急に全く歯が立たなかった中で何とかプレーオフを制しての優勝。

 大阪から福岡へ進出し、ドーム球場の建設、アマチュア選手の人材集めなど、何がなんでも優勝するという表れだと思う。」

 -野村克也氏(元南海監督)-

 

「南海からダイエーへと球団は変わってもホークスの歴史はそのまま。福岡に来る時は不安もありましたが、今ではすっかり私のホームチーム。本当に今日はうれしいですね。全国の南海OBも同じ気持ち」-杉浦忠氏(元南海監督)-

 

「ホークスがあったからこそ、パ・リーグの野球漫画を描き続けて来ました。漫画を描き始め、1番大好きなチームが優勝したんですから。26年前の優勝の印象はボクにはないんです。あの時、ちょうど あぶさんの連載がスタートした年で、仕事のことでいっぱいでした。」-水島新司氏-

 

「今の南海では優勝を狙えるだけの戦力と環境を整えるのは難しいんです。ダイエーなら強くしてくれます。

 優勝をすれば福岡の街にしっかりホークスは根づきますよ」。当時、ホークスを福岡に送り出す際の南海電鉄社長の言葉が思い出されます。 -担当記者-

 

「僕は少年時代からの南海ファン。優勝なんて・・・信じられません。思い出しましたよ、大阪球場の最後の試合。

 トランペットが吹かれた瞬間に、涙が止まらんようになったんです。ホークスの優勝が決まって、よみがえって来ました!

 南海の最後の瞬間が・・・」-チャーリー浜氏-

 

 

・九州移転後初優勝

36年ぶりにパ・リーグチャンピオンフラッグが関門海峡を渡る

26年ぶりの優勝

 

 

全国でそれぞれが色々な想いの中で迎えた、この日。

 

社会に出て色々な経験をさせて頂く中で、今の自分ならどのように感じただろうかと思ったりもします。

もっと前向きに喜べれるように成長しているだろか。

この時と一緒だろうか。

 

 

写真は、各社が初優勝と報じている中で、唯一26年ぶりの優勝と報じてくれた新聞です。

これが今でも1番お気に入りだったりします。

 

・・・ってことは、あんまり成長していないのかもしれないですね。

 

 

TAISEI株式会社  奈良工場

生産管理部 吉田 健太郎